いつだったか、古い釣りの本を見ていると、白黒写真でウエイトステーションに一匹のカジキを吊るして、その横で外国人アングラーがニコッと笑っている写真を見た。
その写真に写っているタックルがリールはペンのレベルマティックで竿はオフセットグリップではなかったがバスロッド風であった。
その写真のカジキがセイルフィッシュであった。
この一枚の写真がずっと脳裏に残っていた。
それと私はバスのトップウォーターの釣りが大好きなので、その当時バスタックルでどこまでやれるかということで、当時バス釣りの間では人気があったロッド、フェニックスでやってみようと思った。リールはもちろんペンレベルマティックである。
ラインはモノフィラ12LBテストでルールはIGFAの規定通りにやるというスタイルで挑戦した。
1989年7月、中南米コスタリカ、バヒア・ペズ・ベラでの挑戦となった。
キャプテンは名キャプテン、アルトゥーロ・ガルシアであった。
このアルトゥーロと言うキャプテンは数年後バヒアへ訪れた時には、アメリカの有名なピザ屋のオーナーにその腕をかわれて大型のクルーザーを買い与えてもらって、そのクルーザーのキャプテンをやっているということで、もうバヒアにはいなかった。引き抜かれてしまった。この世界では良くある事らしく、その後もそのようなことがあった。
初日、釣り場についてティーザーを流したらすぐにセイルフィッシュが出た。生まれてはじめて見る生のセイルフィッシュに本当に、本当にドキドキ、バクバクであった。
その当時は今のようにセイルフィッシュのビデオなどあまり出回ってなく、唯一あるものと言えばバヒアの客が個人で撮影したホームビデオのようなものしかなかった。
後はこの時すでにフライでセイルフィッシュを釣っている丸橋英三さんの話を聞いてイメージするしかなかった。
今回の釣行のメンバーは丸橋英三さん、小倉聡一さん、茂木陽一さんと私の4人。
3人はフライ組、私だけルアーというスタイルとなった。
フライ組は、丸橋さんが既に釣っているので、どのようなフライを喰うかといったことをいろいろ聞くことができるが、ルアーのキャスティングはまだだれもやっていないようだし、参考にするような文献もないので、自分で全て考え、一から試すしかなかった。
ルアーだけでなく、キャスティングできるリーダーシステムも一からやらなくてはならなかったのだが、既にフライでは何匹か釣っている丸橋さんの話を聞きながら全てが試行錯誤の釣行であった。
ルアーもポッパー、ペンシルベイト、スカート付き、シャローミノー、ミディアムミノー、ニードルフィッシュ、バイブレーションと色もナチュラルな色、アピール色と数も一個では不安なので数個ずつ。大型のスーツケース片面半分近くがルアーであった。
そのルアーを一つずつ試して行くのだから相当大変な作業である。
抜群のティージングでセイルフィッシュを興奮させるアルトゥーロのテクニックで、ほとんどのセイルフィッシュが何のルアーを投げてもバイトして来る。
バイトはするが、フッキングはしない。本当にフッキングしない。「カバッ」と喰って「グーン」と持って行かれるのだが、合わせても合わせてもことごとくフックを外されてしまう。
いま考えると、ルアーのサイズとフックの大きさや位置と合わせの問題、ドラグ設定値など、その時にわからないことがいろいろ多すぎた。失敗もあった。
適性ドラグ設定値が分からなかったため合わせができないのでドラグを少し強く閉めたための合わせ切れなどがあった。
あまりにフッキングしないので釣りから上がり、ロッジの中で夜中に発砲材やスカートなどを使って即席のセールフィッシュ・キャスティングポッパーなども作ったりした。このルアーがまたよく食った。
このルアーを試した時は丸橋さんと同船した時だったが、連続ファールフッキング。「ガバッ」と持って行って、追い合わせを何度も何度もやって、数十メーターラインが出されても途中で軽くなると次にはルアーだけが「ポコッ」と浮いて来る。
丸橋さんも後で見ていて、「あれだけやってセットフックしないんだとやりようがないな」と言っている。デッキハンドもあまりのセットフックの悪さを見て笑っている。「どうしたらいいんだ」と思わず叫びたくなってしまう。
掛かる時は一発でフッキングしてしまうのだが、掛かるやつだけとるのでは確率が悪すぎるので、なるべくそれをあげるための努力をする。何度目かのバイトでフックキング。「ドカーン」とジャンプしたと思ったら次は物凄い勢いでラインが出て行く。今度は、テールウォーク。凄まじいファイトである。
どれくらいファイトしただろうか、少しずつ、少しずつ、セイルフィッシュが浮いてくる。ダブルラインが見えてリーダーが水面に出てきてセイルフィッシュも、はっきり見えてきた。デッキハンドが、リーダーを掴んだ。と同時にセイルフィッシュが最後の力を振り絞って水中深くに潜ろうとした時「プッ」とラインが切れてしまった。デッキハンドがダブルラインを掴んでしまったのである。
普通のデッキハンドなら、リーダーを掴んでいる時に、魚が泳ぎだし、止めきれないようであれば、手を放すのが普通であるが、このデッキハンドは、そのまま握っていてスリップしてダブルラインを掴んでしまつたのである。
あまり慣れていないらしく、キャプテンのアルトゥーロにそうとう怒鳴られていた。アルトゥーロは今の魚はキャッチだといってくれた。
そういうことで、私の初のバスタックルでのセイルフィッシュを持ってニッコリ笑っている写真は撮れなかったのです。
次の年、そのバスタックルを持ってセイルフィッシュとニッコリ笑っている写真を撮りに、再びバヒア・ペズ・ベラへ行き、達成できた。1991年6月号のアングリングに書いた記事がそれである。
相原 元司