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ESSAY: Top Notch


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良いルアーとは、どんなルアーなのか?


楽器の世界で言うと、良いバイオリンとは
演奏家の表現したいあらゆる色をもった楽器と言える。
例えば1000万円位のモダンイタリアンバイオリンが64色くらいの色を持っているとすると、「こんな色は表現できても、こんな色は表現できない」といった感じになる。
すると、最終的には殆どのバイオリニストが、どんな表現もできる、無限に色を持ったストラディバリウスへと行き着くのだ。


芸術は表現であり、新しい創造である。


ルアーアクションもいわばバスに対する表現であり、そこに芸術性があるならば、その表現は個々に違いがあって当然であり、誰が使っても同じようなアクションをするようでは、そこに使い手の表現は希薄で、存在感すら感じられなくなってしまうだろう。










誰でも簡単に動かせるルアーはすぐに飽きる。


最近の機能的によく動くルアーを感激して使っていた若い人が、結局数年ですぐに飽きてしまうのも、よく動くものほど安易なだけで使い手による差がなくなってしまうからだ。








「よく動くルアー=良いルアー」ではない。


もちろん、だからと言って動かなくて釣れないルアーでは意味がない。
ここがルアーの難しいところだ。
とにかくただ釣りたい時は、ダブルスイッシャーをただ巻きしていればいいかもしれない。
でもそれでは芸がない。安易に3匹釣ったその後、今度はどんなルアーでどんな動きで釣りたくなるか?


良いルアーとは、感覚的に表現できるルアーだと思う。





よく懐古で釣りを楽しむ層の人が、「こうじゃなきゃダメ!」とか「わかってないな!」と言った顔で日本的小さい枠を作っているが、それはただ自己正当化をして優越感に浸りたいだけであり、そんな事は気にせずあくまで表現、芸術は自分の内なるところに求めていくべきだ。結果的に自分のチョイスが先人とかぶることは構わない。
昔の宣伝で絵になっていたスタイルにあこがれたり、最近のDVDに影響されて真似をしていても、結局その道具を手に入れてそのスタイルで釣ってしまえば行き着いてしまい飽きてしまうから、大事なことは、自分の表現を創造していくことだろう。




数学、化学、物理、医学、建築、語学、政治、経済、あらゆる分野の原点には芸術があり、歴史的にも当時認められていなかったものほど、今日の文明になくてはならない存在になっていることが多いことはよく知られていることだ。



日本の芸術が育たない理由のひとつに、音楽の演奏をしたり絵を書いてもすぐ「流行や懐古」の枠組みで評価をされすぎてしまう環境があるため、評価を気にしすぎた表現が多くなってしまうからなのだろう。そして、足りないものをカバーするためにテクニックばかりを磨き、コンクールなどの競いの場だけにおいては、アジア人が上位を占めることが多くなってきているが、コンクールで賞を取ったにもかかわらず、その後の活動で評価される事があまりなく、プロの芸術家として世界になかなか羽ばたけないというのが現状だ。



だから、テクニックばかりを磨いて数を釣るよりは、ダイレクトリールで感覚を大事にする釣りや、おもちゃみたいな道具で遊ぶ釣りのほうが、表現があって面白いと思う。


人は周りの評価や自分の欲を求めてよく嘘をつく。
本当に腹を割って話せる人は何人いるだろうか?
他人はだませても自分はだませない。


最終的にトップウォーターフィッシングとは、自由なキャンバスの上に絵を描くように、バスに問いかけながら自分の中に求めていくべきものなのではないだろうか。



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