「君はそれでいいのか?」
よくあの人に言われた言葉だ。
Top-notch と Cherokee、そして愛用のカヌーは 激流下りにも耐える丈夫な素材、ロイヤレックスで作られた Mad River のエクスプローラー15 “ヘリテイジ”
当時僕は、毎週のようにJUNと朝の2時起きで釣りに出掛けていた。
この頃乗っていた車は、グリーンの93年式Jeep「チェロキー」だった。
まだ暗い都会の街中で、
竿とタックルボックスを積み込むと先程までの仕事の件はどこかに消えて、
殆ど寝ていないのにもかかわらずなぜか身体は軽く、
ハンドルを握った時にはもう
「どんなルアーで、どんな風に釣ろうか。」想像力が豊かになっていた。
勿論、アメリカの車なのでイギリス車「レンジローバー」の様な
落ち着いた風格は持ち合わせてはいないかもしれないけれど、
いつも身近でそばにいてくれる友の様だった。
そして車を走らせてやると、
空冷ポルシェにも通づるエンジン本来の荒々しいサウンドがとても心地よかった。
この型のチェロキーの全長は425cmでトヨタのカローラよりも短い。
しかも、車両重量は1700kg以下なので、排気量4000ccのエンジンでは充分なほど軽快な走りを見せてくれた。
そしてスクエアなこのデザインなのだから、積載量は文句なしでバス釣りにはもってこいの車だ。
だからこの車には、最近の車のような丸い形の空力がどうだとか、
燃費がどうだとか、そういうことは気にもなかった。
それ以上にワイドな長方形のフロントガラスからみえる視界が映画のスクリーンの様に映り、
ちょうど自分が立って歩いた時と同じ目線の高さだからなのかどうかは分からないけれど、
シートに座るとなぜかワクワクと胸が高鳴り、
釣り場へ向かう高揚感を圧倒的に高めてくれる車だった。
ポルシェのカイエンGTSにも乗っているからわかるのだけれど、
カイエンはまるでタイヤが地面に吸い付くように走り、
2トンを裕に越えるクロカンとは想像できないほどの足回りの良さと加速感を持っている。
まさにエグゾーストサウンドの素晴らしきGTカーの様だ。
しかし走らせる際には、
化粧や走らせる場所さえ選ぶ必要性を無意識に感じさせる様な
「美女の魔力」を持った車でもある。
それと比べるとチェロキーは、
寝起きのままで何処へでも行こうぜと気の置けない男友達の様に言ってくる。
険しい道も、藪漕ぎも、
進んで任せなさいとばかりに頼れる兄貴の様だ。
気のせいだと言われてしまうかもしれないけれど、
例えばメルセデスを運転していると、
そんなつもりはないのだけれど「そこをどきなさい」という気持ちになる。
でも、どういうわけかジャガーを運転していると「お先にどうぞ」という気持ちになる。
この違いが車の持つ性能やデザイン以外の面白さの一つだと思うのです。
その後、僕は父となり、
引っ越しをして都会の低い車庫に駐車する事情もあり、
やむなくチェロキーを仲間に譲り、ジャガーのXタイプに乗り換えた。
その走りはまるで早朝の山上湖で水深30センチの水面に浮かぶカナディアンカヌーの様な
静寂の滑らかな直進性を持っていた。
加速感やコーナーリングなどは語れるものではなかったが、
なぜだかジャガーを運転していると、少し大人になったような錯覚を起こしていた。
そしてそれ以来、どういうわけか釣り場へ向かう頻度が激減した。
以前の愛車 Jaguar X type。本国UKでは Fishing や Hunting 等によく利用されている
振り返ってみると仲間達も皆、
乗る車と共に生活スタイルを変えていった様に思う。
あの頃は、チェロキーで本当に色々な場所へ行った。
山を越え、岩を乗り越え何処にでも行った。
そのころ通った神秘的な山上湖では、
僕の最も頼れる相棒はブラックボーンのホッツィートッツィーセラフだった。
これはタフな真夏の昼間でもよく釣れた。
もう何百匹釣ったか分からない。
切れたリアのプロペラを何度交換したことか。
でも正直に言うと、隣でトーナメンターの様に凄テクで結果主義のJUNが
合理的に素早い釣りをするものだから、こいつでなければついて行けなかった。
時には彼から譲り受けたズイールのプロップをキャストすることもあった。
あれはもう、餌だ。
天才柏木氏の魔力なのか、重量バランスやボディー形状が完璧なまでにでき上がっていて、
着水後何もしなくても数秒後にバイトしてくると殆どセットフックする。
ただ巻きの回収モードで油断していた時に派手なバイトをもらうことだって少なくなかった。
ただプロップやホッツィートッツィーは、
トップウォータープラグとして大ヒットした
傑作のルアーだと思うのだけれど、
ずっと使っているとルアーが釣ってくれたようなもので、
自分で釣った感が無くなっていった。
何かもっと、自分だけの充実感がほしかった。
そして僕は、この思い出がたくさん詰まった大切なルアーを、
釣りを始めたばかりのモトシに「良く釣れるよ。」とだけ言って譲ってしまった。
車を運転する感覚一つとってみても、
釣りをする感覚一つとってみても、
年を重ねると共に感覚が鈍くなり、体力の低下を感じ始めていた。
だからこれからはもっと自分に正直に自分の理想を追いかけたいと思った。
感じることができるうちに、もっとしっかり感じたい・・・と。
そんなある日、
通りすがりのチェロキー専門店にとめてあったワインレッドの車を見かけた。
そして僕はそれに一目で惚れてしまい、殆ど無意識的に即決してしまった。
以前なら貯金がいくらで、ローンは何年で、
とかもっと計画的にやっていたと思うけれど、
今は自分の人生に大切なもの、そうでないものがある程度分かってきた年代になったから、
必要ならばそのために働けばいいと思えるようになっていた。
そういえばあの人も、JBLの大型スピーカー“4343”が発売された時、
当時とてつもなく高価だったと思うのだけれど、
「価格がどうとか、貯金がどうとかではなく、“絶対に手に入れる”と本気で思っていたから手に入れられた。」
と“強い眼”で確信的に言っていた。
でも結果は、アメリカに直接注文して自分で輸入したそうなのですが、
届いたレフト、ライト用の二つのスピーカーはどういう訳か、
一つがアルニコで、もう一つはフェライトだったのです。
どうも英語が大の苦手だったそうで、或るいは当時今以上にアメリカ人は日本人を見下していたそうで、
ともかくそんなことをあの“強い眼”のあとに、
なんとも恥ずかしそうな可愛いらしい眼で大の大人が話すのです。
その後日本はバブル経済に突入し、
きっと余裕ができて、普通ならそれを買い替えてもおかしくはないと思うところだが、
あの人はこのアルニコとフェライトの左右が違うスピーカーを
亡くなるまでずっと生涯大切に愛用したのです。
そんなあの人が僕らは大好きだった・・・
生前、則弘祐が暮らしたログハウス。ザウルストレインは、今も変わらず大切に守っています
それから僕は再び、チェロキーで釣り場へと向かった。
ワンドの端にいる小さいバスではなくて、
真ん中の一番深いところに潜むランカーを男らしくトップで釣りたい。
だからチャグバンプを投げ続けた。
チャグバンプの首振りは、正直手首が10分で痛くなるのだけれど、
それでもやめなかった。
まずはサカナがいそうにないところへ数回チャグバンプをキャストして、
「ゴボンッ!」 「ゴボンッ!」 「ゴボンッ!」
これで活性をあげてから、ワンドのサイドへキャストして、力強く首振りをする。
これでさらに活性があがる。(ここで中型が釣れてしまうこともある。)
そして最後に一番狙い所の少し奥へとキャストする。
そして、小刻みに潔く軽快な首振りを止めずに連続する。
するとどうだ。
「ドドッカーーン!!」
Top-notch の umco のタックルボックスでも、ひと際存在感のあるチャグバンプ
その後、僕はあの人のいないログハウスへ向かい、
アン・バートンのアルバム「BLUE BURTON]を聞きながら
あの人の書いた文を読み返していた。
既に分かっていたつもりではいたけれど、
それは年を重ねるほどにもっと深いところで共感することが多くなる一方だった。
そして、あの人の生前の言葉を思い出していた。
「なぁ~トップノッチ、結局美の追求をすればそこにはいつも女体があるよな。」
「ポルシェ“964”は、女性の太ももだ。」
「フェラーリ“ディノ”はCカップとDカップの間くらいの胸のラインだ!」
「がっはっは!!」
さらに、
「バヨリンの音は女性の声そのものだな。」
「でも、オイストラクがヒトラーよりも力強くて説得力のある音にした!」等。
いつもオーディオマニアのおじさんが言う次元の話ではなかった。
しかしあの人は、これらすべてのモノの見方や感じ方の基本はすべて
「トップウォーターのバス釣り」にある。と言った。
確かにトップウォーターのバス釣りほど多種多様のスタイルで遊べる趣味はあまりないと思う。
そしてそこで培った感性は、
仕事でのインスピレーションやデザイン、
絵画、音楽、食事、酒、服、時計、車、オーディオ、家具、カメラ・・・等へと交感して暮らしに調和し、
時に釣りは人生をより豊かにするのだと僕は思うのです。
さあ、どんな竿でどんなリールで、そしてどんなルアーで釣るのか。
便利な新しいタックルで性能を優先させるのか、
それともオールドタックルで味わい、不自由を楽しみながら釣りをするのか。
シチュエーションも様々でそれとどんな風に合わせるのか。
そしてその理由は何か。
川や野池でサイドキャストなのか、綺麗な山上湖でオーバヘッドのロングキャストなのか、
フラットランドの葦際狙いか、それとも浮き草のフロッグゲームか。
カヌーで行くのかジョンボートで行くのか。
車はどうする?
音楽はどうする?
もうすべて知っているつもりかもしれないけれど、
もう遣り尽くしたつもりでいるかもしれないけれど、
本当にそうなのだろうか?
もっと想像力を膨らませて、白いキャンバスに描きながら自分探しの旅に出掛けると、
そこにはきっと、まだ見ぬ世界がたくさん待っているだろう。
もっと知りたい。
そして、もっともっと感じたい。
「キミハソレデイイノカ?」
(2014年9月)
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