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Tokyo Rod & Gun Club 山田 周治
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僕が房総半島の君津市に引っ越したのは、昭和が平成に変ったすぐ後のことだったから、もう15年以上になりました。速いねえ、時間の経つのは。
50歳を過ぎたら緑の田舎暮らし、なんてカッコをつけてはいたけれど、なあに、本音は、楽にバス釣りに行けるかな、という、単なる遊び根性だった。
ところが。住み始めて、少し落ち着いて辺りを見回して。愕然としました。
記憶に残っていたあの山この山の多くが、山砂取りとやらで、みごとに消えていた。フナやタナゴを釣って遊んだ小川は、3面張りになって魚1匹住めなくなっていた。整然と並んだ田圃は農薬漬けで、ドジョウもタニシもいなくなっていた。おまけに、山間にできた産廃処分場から染み出てくる汚染水が、渓流の川虫や魚を殺していた。
こういうのを見ると、僕はつい、血を騒がせてしまうのですね。なんとかしなきゃあ、と、身の程もわきまえず、動いてしまった。
『自然と人間を考える』という会を仲間と立ち上げ、『小櫃川の水を守る会』というグループに仲間入りし、『小櫃川河口・盤洲干潟を守る連絡会』という長い名前の会を皆で誕生させて……
と、まあ、こういった次第で、気分も時間も、バス釣りに出るどころではなくなってしまったわけなのだけれど、成果は?といえば、くやしいことに、事態はじりじりと悪いほうへ進んでいます。
で、話は当然、『生物多様性の保全』と『特定外来生物被害防止法』に、つながらざるを得ないのだ。
僕の理解に間違いがなければ、生物多様性保全条約は、たしかこんな内容が基本理念になっていたと思うのだけれど。
「自然の生態系は大切に守らなければならない。それぞれの地に生息する野生の生物を絶滅させてはならない。地球上の各地域それぞれの、在来の多様な生物とその生態を、あるがままきちんと保全しなければならない」
そして、なぜ保全するのか?という理由については、こう書いてあった気がする。
「地球上の多様な生物こそ、人類の生存にとって貴重な資源だから」
人間が考えるのだから、人類至上主義になるのは当然のことなんで、この考え方についての論議は、ま、置いとくとしましょうか。
ただ、ここではっきりしたことが、ひとつある。
『生物多様性の保全』の思想は金輪際、「生命あるものへの思いやり」とか、「生きとし生けるものへの愛」とか、「動物愛護の精神」とかから生まれたものじゃない。妙な呪縛に縛られる必要は、毛頭ないのだ。
そして。人類の貴重な資源保護のために『生物多様性の保全』がそんなに重要だと考えるのだったら、被害の実態も被害の内容も規模も正確に追求していない『外来生物による被害』の防止の前に、厚生労働省も環境省も国土交通省も、農林水産省も、自分たちが決定的に生物の多様性を破壊させていることに、目を向けなければいけないのじゃないか。
山田 周治