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SAURUS > エッセイ > 相原元司 > 1998年、グアム。初めてパシフィック・ブルーマーリンを釣った
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ファイティング・ロッダーズ
相原 元司
ESSAY: Shuji aihara


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7度目の釣行であった。
前の年キャストした、フレッドアーボガストのスカッダーのブルーで、バイトまで持ち込んだ。しかしフッキングしなかった。 そのブルーマーリンは一度出てきてルアーをキャストしたら、3回もバイトしてきたがフッキングしなかった。
もう7回もグアムにブルーマーリン狙いに通っているので、ブルーマーリンを狙えるメソッドは多少わかっているつもりだが、なぜ7回も通っているのに一匹もリリースできないのか。それはIGFAで67年間未記録になっているパシフィック・ブルーマーリンを2LBテストラインで挑戦していたためで、ルアーのキャスティングは後回しになってしまっていたのである。 2LBテストラインでの釣行記はそのうちにレポートする事として、今回はルアーキャスティングによるブルーマーリン釣りをレポートする。


前回あれだけくわえて持ち込んで行ったのに、なんでフッキングしないのかといろいろ考えて、ルアーを自作してきた。それを現場で試すためだった。 1998年の6月、4日間の釣行。ルアーキャスティングによるIGFAルール、モノフィラ20LBテストラインで、ブルーマーリンへの挑戦を行った。 場所は日本から近いグアム。マリーナはアガニア港。クルーザーは、今は亡き大西英徳JGFA(ジャパンゲームフィッシュ協会)初代会長の友人でおられた、その当時のGGFA(グアムゲームフィッシュ協会)の会長、トム・マイケル氏の所有するクルーザー、マジックガールと言う船である。 キャプテンは雇われ船頭であり、毎年変わっているが、この年はデイヴィットKモリカワというキャプテンである。デッキハンドは初めてこの船に乗った時と同じアルトゥーロ・ガルシアである。
このアルには、ブルーマーリンの寄せ方と私のやり方を全て教えてあるので、キャプテンが変わってもアルの方からキャプテンに伝えてくれて楽である。


亡くなった大西英徳JGFA初代会長には大変にお世話になった。 「グアムでカジキ釣るんだったら僕の友人の船を使いなよ。いつがいいんだい? 連絡しておいてあげるからさ」とおっしゃって下さって、1から10まで手配して下さった。
「ホテルで泊まるんだったらトムの家に泊まればいいじゃないか。連絡しておこうか」とまで、おっしゃって下さったが、宿泊の方は遠慮させていただいた。お気持ちは大変ありがたいが、トム・マイケルさんの家に泊めてもらっては私が気疲れしてしまうので、宿の方は自分で安ホテルを手配した。 7回とも全てクルーザーの方は大西会長に手配していただいた。


4日間の釣行の最終日にマーリンは出た。
自作した中で一番泳ぎの良いミノーを流した。ジョイントタイプで、おおきなドールアイが付いていてとても良く動くミノーである。色は白一色。ティーザーベイトを抜いたところへミノーを流すと、ブルーが横っ跳びでぶっ飛んできて、ミノーを一発でくわえこんだ。
両手で、ザウルスの竿で目一杯合わせを入れると、ジャンプした口元からミノーがしっかり見える。
良いところにフッキングしている。ジャンプしたかと思うと今度は一気に潜る。テクニックを駆使してファイトするがこのブルーはどんどん深く潜って行く。小型のブルーマーリンであるが、やはりブルーマーリンはブルーマーリン、モノフィラ20LBだとやはり最初はかなりラインを出されてしまう。
少しファイトを続けたところで魚のスピードが落ちてきた。


チャンスとばかりに、一気にリーリングに入る。やり取り45分でアルがタグを打った。小型なので一緒に写真を撮らせてくれと言うと「OK」がでた。どれくらいファイトしたか、リーダーが見えてきて、アルがリーダーを手繰り寄せ、ビルを掴んでキャッチした。
「早く、早く」といいながら、初のパシフィック・ブルーマーリンと私と一緒の記念写真を撮ってもらい、素早くリリースした。
推定80LBの小型ではあるが、初のパシフィック・ブルーマーリンをオリジナルミノーでIGFAルール、モノフィラ20LBでキャッチした。その後ビルフィッシュ・ファウンデーションからタグ&リリースの証明書が届き、今も私の宝物のひとつとして自宅の壁に飾ってある。


相原 元司






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