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SAURUS > エッセイ > 森下久志 > 僕の九頭龍川ラプソディー
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ザウルストレイン
森下 久志
ESSAY: Hisashi Morishita


ESSAY TITLE


夕闇の名神をトラックのテールランプの明かりをすり抜け、北陸道へ入る。
夕方から降りだした雨は米原を過ぎる頃には本降りになってきた。
明日は雨の予報だったからそれはそれで受け入れるしかないし、そのつもりで来たので構わない。しかし賤ヶ岳を越える頃には風が強くなってきた。
ビュー、ビューっと車が揺さぶられる程の強い風だった。
昨年、母が他界した。今でも本人はもっと長生きしたかっただろうと思うこともあるのだが僕は天寿を全うしたと信じたい。10代で戦時中を生き抜き、日本の一番不幸な時代と一番元気だった時代を突っ走ってきた。想いかえせば親不孝な息子だったのだが、ありがたいことに母親にすればどんな息子であれそれはたいした問題ではなかったようだ。実家の宗門は真言宗なのだが、縁あって禅寺で有名なあの永平寺を大本山とする曹洞宗のお寺に納骨と相成った。四谷にあるお寺に初めて行った時に案内してくれた寺僧の話では禅宗の寺院には煌びやかな黄金の荘厳さはないが木の良さを活かした慎ましやかと静寂さ、そこに美しさを求めた作りが特徴なのだと教えてくれた。なるほど確かに装飾は控えめで地味ではあるが座禅によって心のありようを修錬する宗旨からすればもっともであるし、茶道の侘び、寂びに通じる何かがあるのかもしれない。生前より故人も気に入っていたのでそれはそれで本懐であったであろうと願う。先日の彼岸には法要に出向き、冥福を祈願してきた。(ついでにサクラマスが釣れますように・・・バチあたりか)
家族には永平寺には行かないまでも目的地は永平寺町だからお寺の方角に手でもあわせてくるよ、そう言って東京を出た。
仕事のついでと言えば聞こえは良いが、単に九頭龍に行きたくてウズウズしていたのが本音であってそこにまんまと関西での仕事が舞い込んだのだ。(へへへっ)
九頭龍には夜も8時過ぎに到着。いつもの風呂屋に駆け込んでなんとかこの日を終えることが出来た。一日中の立ちんぼ仕事の後だけにまさに活き返る思いだ。
そう言えば雨は止んでいる。しかし強烈な風は今も吹いている。ベイトキャスターの僕にとって明日は雨よりももっと苦戦しそうだ。まいったなぁ・・・
夜通し吹いていた強烈な風は朝になっても止むことは無くキャンパーの車体を揺らし続けた。携帯の目覚ましで5時に起きたがどうしても行動に移れない。この風じゃ釣りにならないよ。そうこうして布団の中でぐだぐだとイジケていたら、気が付くと時刻は6時。やべぇ!二度寝してしまった。
九頭龍に来ただけで満足していた僕は半ばいやいやながら起き出しポイントまで車を走らせる。この風なのに有名な幼稚園前のポイントには左右両岸とも満員御礼の大盛況。越前さん発信の情報メールではこのところ続けて釣れていたみたいだからそうなれば釣人たちが黙っている訳がない。今週は満月の大潮。サクラマスアングラーであればじっとしてなんかいられない。
本日の一番目のポイントはハタヤのひらき。このポイントはザウルスにとっていわば約束の地のような意味合いと思い入れがある。確か機織りの工場があってその上流の岩場から流れてきた荒瀬がひらけ、深みと広い瀬が続く200メートルほどのポイントだ。
歯を磨き、身支度を整えながらお湯を沸かす。最近、気に入っているのがモーニング味噌汁。シジミのみそ汁で流行りのオルニチンを摂取しながらしっかりと昨夜の反省をする。しかし、やっぱりコーヒーも飲みたい。そうなると、チョコレートビスケットでもかじって脳にもエネルギーを与えたいとなる。
もう一度お湯を沸かしながらラインシステムを組む。美しいシステムとノットは強くてガイドへの接触も感じさせない。ここは心を落ち着けて丁寧にシステムを組む。
そうこうしているといつものように7時過ぎ。一人でも行動パターンは全く変わらないおバカさんである。
しかし、だ。どこの川でも7時と言うのは一つのキーワードでもある。出勤前の地元の朝駆けアングラー達が撤収し始める時刻だ。7時前後の釣果はポイントを熟知する地元エキスパート達の釣果であることが多い。我ら遠征組はこれからが本番なのだ。(本当は朝が苦手なだけなのだがそれでいいのだ。)
あれ、意外と寒くないぞ。予報でも最低気温が11度、最高気温は17度にも達すると言う。手袋もいらない感じなのでいつもよりも軽装で挑むことにする。
今日も強い流れを横切り中州に渡る。ウェーディングスタッフの力をかりて渡りきるとやはり風はビュービュー、上流から川に沿って吹き抜ける風のおかげで寒いじゃねーか!
中洲の枯れた葦原は擦れ合ってカサ、カサと音を立てる。
永平寺方面へ合掌、一礼してキャストを始める。風に負けないようミノーはCDレックスからスタート。

ゴー、ゴーと絶え間なく流れる九頭竜川。そこにはいつ来ても変わらない風景がある。幾多のアングラー達が愛して止まないサクラマス釣りの名川だ。いくつもの分流ができ、一つになってはまた分かれ地元の街中を流れていく。田舎の里川でもなく、都会の大河川とも違う。東北の川とも違う、西日本の川とも違う。ここには北陸の川の独特の表情がある。
ハタヤの開きを小一時間ほど攻めてみるが反応なし。水色は良い、タックルも良し、後はタイミングだけでしょう。いつなの?今日でしょう!
ビュー、ビュー、ビュー。
風は相も変わらず強く吹いている。2番目のポイントは五松橋下流の瀬。そこから4本ポールまで時間をかけて下る予定だったのだが、さすが有名実績ポイントだけあって既に釣り人が多く途中で断念。さらに下の高圧線、高速の上流、福松大橋下流、全てにアングラーがびっしり。みんな思いは同じである。
ポイント求めて右往左往。デコボコ道をのんびり走って結局、行き止まりの水道局まで下ってみる。車止めには四駆が1台。アングラーは上流よりも少なそうだ。そこに丁度、フライマンが戻ってきた。挨拶を交わすとカスリもしなかったらしい。(やっぱりね・・・)
ここでも川を渡って中州を横切る。水道局は貸し切り。気分最高。瀬の頭からじっくり流す。解禁日はここではでかいニゴイがスレで掛ったっけ・・・。今日は掛るなよ、と念じながら釣り下ると本当に何も掛からず空振り。(マジかよ・・・)
もう一流しするか。いやフライなら下流のポイントは攻め切れていないはずだ。追い込まれた釣れないアングラーはついに因縁の土管ポイントまで一気に下る事となる。
歩き出し気が付けば今度は暑いじゃねーかよ!ハタヤで寒い思いをしたのでパーカーを一枚着たのだがそのままだった。てくてく歩いていると対岸に他のフライマンの姿。今日はフライのアングラーが多い。
歩きながら辺りを見渡すと冬枯れの寂寥(せきりょう)の中にも畦道だけは少しだけウグイス色に染まり始めている。東京では観測史上で最も早い桜の開花宣言だったので福井にももう少し春が近付いているかと思っていたが桜どころではない。春本番はまだまだ先のことのようだ。
到着した土管のポイントも左右両岸貸し切り状態。釣り人の多いこの川でこんな日は滅多にあるもんじゃない。今日は前回の反省を踏まえて決して自分を曲げない覚悟でやってきた。だからアクションさせるロッドも常に立てたままでトゥイッチング。表層へ誘い出すと心に決めて来た。そのおかげか未だルアーのロストもゼロ。コイ科の魚達の層も切っている。これで釣れりゃ言うことなしだぜ!
ゴー、ゴー、ゴー。
瀬音を立てて流れる土管の瀬は確かにとても魅力的だ。あまり立ち込まないようにして慎重に、かつ静かに釣り下る。ここのポイントは水道局よりも規模が大きい。瀬も200メートルほどもあり、その先に100メートル以上のトロ瀬が続き、その瀬がひらき大きな駈け上がりから福井大橋の下流の瀬に続いている。
瀬の半ばまでくると流れも少し弛みはじめる。ここからはミノーをレックス・ミディアムディープにチェンジ。カラーは・・・。ボックスを開いて川面を見ながら考えていると上流より少し濁っている気がした。気温が上がって雪代でも入ったのだろうか。
決まった、これだ!ユキシロキャンディーにしよう!
このカラーは三面川の冨田さんからの提案で出来たカラーだ。製品が出来上がって手渡した時に聞いた話ではこのカラーにくるサクラマスの喰い方は普通じゃない。まるで襲いかかるような強烈なバイトが多い、彼がそう言っていたのを思い出す。
この土管ポイントは今年の解禁日に外岡さんがキャッチした。ここまでは結構な距離を歩くので則さんと訪れていた頃にはあまり足を踏み入れたことはなかった。ポイントの概略や構成は外岡さんに教えられ粗方は理解しているつもりだ。
一緒に釣行する人も変わった。川で出会うアングラーも変わった。一世代も二世代も変わった。そんなことも影響しているのだろうか、九頭龍川で見えてくる景色も少しだけ変わったような気がする。(ハタヤでは変わってないと思ったんだけどね)
土管ポイントにはその名の由来となった朽ちた土管が横たわっている。その土管の上手、50メートルくらいでから再び流し始める。ロッドは立てたままあくまで表層に誘い出す。このポイントは水深もあり、流芯は左岸にぶつかりながらゆるく、大きくカーブしている。左岸にはテトラが入っていて柳の木も立っている。通しで釣り下るには不向きで一か所、一か所でロッドを振るしかない。僕が釣り下っている右岸は手前側の川辺は駈け上りになっている。川幅も適度で、深くウェーディングする必要もない。確かに理想的なポイントだ。
2投目、流芯にめがけてミディアムディープをキャスト。まずは2~3回転、リールを巻いてミディアムディープを流れに馴染ませる。あまりテンションを掛けず、表層をフワッ、フワッと優しく、弱々しくトゥイッチさせるイメージで流す。
U字が切れる流れのほぼ真ん中を過ぎたあたりでガガッ!グン!と喰い上げてきた。
よし!グイっと合わせを入れるとサクラマスは一気に水面へ上がってきてジャンプ一発!そして銀白の魚体をギラッ、ギラッ!と、くねらせながら一暴れ。それを狙ってここに来ているのだから当然、期待通りの展開なのだがこの瞬間の嬉しさは何とも言葉にできない。水面での抵抗が叶わないと悟ると今度は深く潜り川底にへばり付こうとしている。こいつは強くて賢い奴だ。
アングラーは慌てず、経験の全てを駆使して戦わない限り下手をするとバラしてしまうパターンだ。
サクラマスがグン、グンと頭を振ってフックを外そうとしているのが分かる。こちらはロッドの弾力を利用してテンションを完全にコントロールしながら相手を誘導する。強引に寄せようとするとマスは遮二無二暴れて、ただの引っ張り合いになってしまう。それじゃ最高のファイターとのせっかくのゲームが台無しだ。アングラーもマスに敬意を表した最高のパフォーマンスを演じるべきだ。
ここはサクラマスのプライドを利用してやろう。ラインのテンションを加減して少しだけ自由を与えてやる。すると奴はその力を鼓舞するかのようにグッ、グッと首を振りながら激しい流れに逆らい上流へ遡(さかのぼ)っていく。
オレも本気だ!OK、お前の全力を見せて見ろ!
こちらの思惑はより有利なポジションへ導くこと。それだけに集中して今はただただ耐える。2~3分も経っただろか。テンションを加減しながらロッドを支えるトレーニング不足の左腕がそろそろ疲れてきた。しかし流れの勇者は全く疲れを見せない。それどころか少しずつだが僕が立つ位置より上流側まで遡(さかのぼ)ってきた。さぁ、ここからはこちらの攻める番だ。底にへばり付くサクラマスを浮かせるのだ。今までは角度を保ってきたロッドとライン。それを下流側へ倒してサクラマスにサイドプレッシャーを与える。すると異変を感じたサクラマスはさらに激しく首を振る。恐らくヒレを目一杯に広げて川底から離れないように踏ん張っているのだろう。
ギリ、ギリ、ギリ、ドラグが鳴る。ロッドを元のポジションへ立てながら少しだけこちらへ近付いた分のラインを巻きとり、さらにロッドを倒し込む。そして再び下流側へロッドを倒しながらサイドプレッシャーをかける。この時、魚が下流を向かない程度のプレッシャーが重要だ。下流に下られては元も子もなくなる。ベテランを自称するアングラーならご理解いただけると思うが、僕としてはサクラマスとのファイトはあくまでも空想で思い描いた通りに完結させたいのだ。
サイドプレッシャーをかける度にサクラマスは少しずつだが確実に手前に寄ってきている。僕の目論見は手前の駈け上がりを利用するのだ。手前に寄せて来れば水深はだんだん浅くなりサクラマスはいくら底を目指しても水面は徐々に奴の頭上に近付いてくるのだ。
サイドプレッシャーを4回、5回と繰り返していると漸く奴は自分の置かれた状況に気付き始める。ここからが最後の戦い、一番気を付けなければならないステージに入る。
マスは再び水面に姿を現し、尾ビレで、そして全身で、水面を激しく叩き、潜り、また飛沫を上げる。だが一度、水面に顔を出したマスには川底へ戻る力は既に残っていないようだ。
もう手を伸ばせば届きそうな距離まで来たのだがここで慌ててネットに手をかける必要はない。(代わりにカメラ持ってりゃ世話ないか!)ランディングは一発で決めなければカッコ悪い。すくいたくなる気持ちも分からないではないがネットに手を伸ばすのは最後の最後。状況によっては浅瀬に上げても良いのだから。
水面を上流へ下流へと何度も走りまわる。先端が黒く染まった背びれをピンと立て悠々と泳ぐ姿はまるで僕を威嚇しているようだ。好きにするがいいさ、こちらはラインが魚体に絡みつかないようにだけ気を付けていればいいのだから。
いよいよそのタイミングはやってきた。マスは走り疲れてついにその魚体を時折、水面で横たえるようになってきた。十分に空気を吸って反転するパワーも弱まった。
最後は不意の反撃に備えて念のために十分にドラグを緩めておく。ロッドの穂先から出ているラインは7~80センチ弱だろうか。ここで背中に背負ったネットを外し、一度、水に浸して網の柔軟性を取り戻しておく。そして左手親指でスプールを抑えロッドを背後にグイっと引きマスをランディングの間合いに引き寄せる。ネットで魚を迎えに行くのではネットにフックが絡んでしまう恐れがある。そうではなくネットは十分に水中へ沈めておき、サクラマスをネットの上に誘導して暴れないタイミングで一気にすくい上げるのが常道だ。
さぁ、勝負を決する時だ。そしてネットイン!
完璧だ、アングラーの完勝だ。どうだ!オレの勝ちだ!


フーッと大きく息を吸い込み一気に吐き出すと僕の全身から力が抜けていく。
本当だ、まるでミノーに襲いかかったようにミディアムディープをガッつり真横から咥え込んでいる。冨田さんが言っていた通りだ。
僕と同じくらいサクラマスもまだ興奮している。その姿はまるで捕えられ、そしてロープで縛(しば)られ、目玉をひんむき、鼻を大きく鳴らす獣のように僕を睨みつけている。何事かに屈した様子は微塵もない。そして後悔もない。ただただ奴の悔しさだけが伝わってくる。

よし、分かった、お前は良くやったよ。でも、もう終わりだ。
薄紫に輝くメタリックの魚体を写真に収めようとカメラを構えて近付くと「バチャ、バチャ!」っと最後の一暴れでメガネまでびしょ濡れにされてしまった。一人で爆笑。

メガネについた水滴をシャツの袖で拭うと僕もやっと正気に戻ったようだ。水中には鋼の魚体から剥がれた数枚の鱗が舞っている。そして桜の花びらのように儚く(はかなく)流れて消えていった。
ビュー、ビューと吹いていた風は止み、気が付くと春霞の空高くヒバリが鳴く穏やかな早春が訪れていた。上流からフライマンが下って来た。もう十分だ、残りのポイントは彼に譲るとしよう。
色んな縁があって、色んな人と巡り合い、色んな人のおかげで一匹のサクラマスに出会えた。僕が言うのも生意気だけど九頭龍川と九頭龍川のサクラマスはやはり格別だ。色んな人に守られてきた九頭龍川。則さんに教えられたこの川で、トノ様のご推薦のポイントで、冨ちゃん提案のカラーのミディアムディープで、自分の思い描くスタイルで、完璧なサクラマスに出会うことができた。きっとこれ以上ないほど完璧な一日だった。以心伝心、教外別伝。きっと何かの導きでもあったのだろう。
今頃、きっとお袋も永平寺で写経でもしているのだろうか。
僕の九頭竜川ラプソディー。色々あってこれで釣れても釣れなくても九頭龍川に帰ってくる理由がまた増えた。次回は永平寺にお参りに行こうか。
でもね、いくら釣れても一人じゃちっとも楽しくない。そりゃ、嬉しいけど二人でいれば二倍、三人いれば三倍に、喜びも楽しみも拡がっていたはずだ。それに一人じゃ乾杯も出来やしない。コリャいかん!こればかりは考え直さなくてはいけない今回の釣行の唯一の反省点かもしれない。



That's It!

「Ballad of Easy Rider」
映画、イージーライダーを見たことのない方はぜひこの機会に楽しんで頂きたい。ピーター・フォンダとデニス・ホッパーがコカインの密輸で得た大金を隠したチョッパのーハーレーダビッドソンでカリフォルニアからニューオリンズを目指すヒッピーの若者を演じてスマッシュヒットとなった。南部の田舎町で遭遇する都会とは違った差別。そしてリンチで殺されてしまうアル中の弁護士役のジャック・ニコルソンも主役級だ。
この作品のサウンドトラック、ロングドライブのBGMとしていかがだろうか。
もちろんザ・バンドの「ザ・ウェイト」も大好きな素敵な曲なのだが今回は話をこちらに譲ろう。

「イージーライダーのバラード」
ザ・バーズの1969年に放ったヒット曲。勿論、映画「イージーライダー」のために12弦エレキギターの名手、ロジャー・マッギンによるクロージング曲でいわば主題歌。作詞はボブ・デュラン。ピーター自信が直接ボブに依頼したそうだがその真偽の詳細までは定かではない。恐らく本当の話であろう。
日本ではステッペン・ウルフの「ボーン・トゥー・ビー・ワイルド」の方がイメージ的に有名になってしまったような感がある。オープニングの西部での勇ましいハーレーの走行シーンを思い浮かべれば確かにそうなのだが、物語の最後はそうでもない。

-1-
川は流れる。その流れは海へと通ずる。何処へ行こうと川は流れ行く。
そこが何処であろうと僕の望む道は川の流れが在ればこそ、辿り着ける。
君に注ぐ水々よ、天から地を洗い川の水と成れ。
僕をこの道から他の町へと連れて行ってくれ。
-2-
全ては彼の探していたもの、自由の地を探す旅の為。そして、それが道標。
その川の流れは行き止まり、流れは別の川へと流れ込む。
-3-
川の流れは大きく成る。日よけの大木を通過してから、川に沿って行こう。
どんどん行こう。
海へ行こう。流れは海へと向かっているのだから。
-4-
川は流れる。その流れは海へと通ずる。何処へ行こうと川は流れ行く。
そこが何処だろうと僕の望む道は川の流れが在ればこそ、辿り着ける。
さあ君に注ぐ水々よ、天から地を洗い川の水と成れ。
僕をこの道から他の町へと連れて行ってくれ。


このイージーライダーのバラードの歌詞は確かにボブ・デュランの臭いがもうプンプン。総じてこの時代の曲はことごとくイージーライダー達や漫然とした不満や不安と葛藤する当時の人たちの孤独であったり、救いを求める心境であったりなのだろう。強がったその外見から発せられる自由という得体の知れない何か。ベトナム戦争や人種問題を背景に自由を叫ぶことと、真に自由であろうとすること、その違いと難しさに苦しむアメリカ。そんな時代の自分探しの旅。誰も答えを見出せなかった時代の放浪。きっと日本でも同じような空気が蔓延していた時代だ。そんな時代にこれだけ共感を誘ったということは、まさに時代の代表作でもあるはずだ。

いつの時代も人の心を打つ作品は見返せばその時代ごとに違った表情を見せてくれる。10代よりも20代。30代と40代ではまた違う味わいを見つけることができる。それは僕らだって流れ続けて、生き続けている証だろう。若人よ、昔の音楽や映画も良いぞ。同輩のおっさん達よ、ノスタルジーだけではなく何かが見えてくるかも。(決めた!次はアメリカングラフティーだ!)

岩の割れ目から流れ出した水が小川となり、川となり、幾つもの分流となり、そして大河となって海に注ぐ。
河はそこに立つ僕らを日常から解放してくれる。
河はそこに立つ僕らを自由にしてくれる。
河は流れる、自由に、いつまでも。
そして僕ら釣り人は河に立てばいつだって自由になれるのだ。
いつまでも流れる河のように・・・
自由の旅に出かけようではありませんか。
お酒の話は今回ばかりはお休み。
ドライブのBGMの話しに酒を絡めちゃ野暮でしょう。


(2013年4月)




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