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SAURUS > エッセイ > 田中秀人 > 遥かなる我が飛騨の川 番外編 「命をつなぐ川」
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Tokyo Rod & Gun Club
田中 秀人
ESSAY: Top Notch


ESSAY TITLE



時代と共に人々は雑踏にまみれ、川から離れてゆく。 それでも川は命をつないでいる。


太古の時代。
川の周辺には、人が集まり、川が運んだ肥沃な土で農耕を営み文明が栄えていった。
時に川は大暴れして人も街も、畑も田も飲み込んでいった。それでも川は命をつないでいる。



川があふれ、運ばれた山と川の息吹が土地を肥沃にする。川によって失うものがあれば、同じだけ得るものもあった。 人は川の神に畏怖の念を抱き、そしてそこで命をつないできた。
人も、魚も、虫も、木々も、田畑も、動物たちもみな、 川がその命をつないでいる。

一滴の雫が深山からしみいでて、沢になり、流れを集めて大河となる。
子供も大人も遊びも生業も、全てが川の周辺で営まれた。

小さな人類は暴れる川を押さえ込もうとした。
時代と共に人は川をコントロールし山をコントロールしようとこころみた。あざ笑うかのように、川は荒れ狂い全てを飲み込んでゆく。
それでも川は命をつないでいる。

今では川で子供の遊ぶ姿がほとんど見られなくなってきた。海の子が磯から海に飛び込み魚や貝を捕って遊ぶように、川の子が淵に潜って魚を捕って、流れの中で自由に遊ぶ。 そんな当たり前の光景が見られなくなってきた。

川から離れた大人たちは「川は危ないから近寄るな。」と囁く。
小中学校の師は「川は危ないから、校則で遊泳を禁止する。」と胸を張る。
大人は川を見捨て、子供たちは川から離れていく。
川は優しく、そして恐ろしい。
そんな川の懐より人々が離れていくことが最も危険なことだという現実を、雑踏にまぎれた我々は忘れていくのだろうか。

利権の絡んだやからたちが衰弱した川に群がり「治水、利水」の大義を唱え、川をさらに寸断しようとする。
それでも川は命をつなごうとしている。


  僕はなんと思えばいいのだろう。
  僕はなんと言えばいいのだろう。
  僕はなんとすればいいのだろう。

迷い続けて僕は早春から秋まで釣りをする。
冬は愛犬2頭と共に猟銃を手にし、四季を通じて川べりに立つ。四十を過ぎた今でも、ずっと川に抱かれ生かされている。


僕の息子たちには「川で遊べ。川の楽しさも恐ろしさも、飛騨の子ならば命を川に教えてもらえ。」と命をつなぐ。
先日、警察から呼び出しが有った。
「お宅のお子さんが、川で遊んで危ないと住人から通報があった。」と言う。
「山の子が川の子が川で遊べなくて恥ずかしくないですか?
飛騨人として川に対する畏怖の念も、恩恵も知らずして果たして飛騨人といえるのか。川のルールを知り、自分の限度も知る。川に触れずして人の心は身につかずだ。川から人が離れるから川が危険になるんだ。」
悪気のない警官にマシンガンのように捲くし立ててしまった。

僕は物心ついたときから進歩なく、ずっと川に遊んでもらっている。僕の父もそうだった。
父の少年時代は日本海から飛騨の源流までダムもなく、堰堤もなく全てがつながっていた。
サクラマスも飛騨高山まで遡った。人にも川にもよき時代であった。
人と川だけでなく、全ての生きとし生けるものたちがキラキラと輝いていた。
川が命をつないでいるのだ。


少年時代の僕は、宮川で父と遊び、魚をとり、アユの簗場で働きながらひと夏を過ごし、キジ撃ちに父の後を追ってついていった。
成人して美味なる物に舌つづみを打ち、ワインにも出会った。
僕にとってその全てにおいて父が先駆者であった。
現在の僕は、生業として絵を描き版画を彫り、そして工芸品を創造している。その全ても父から学んだ。 今日も超えようとして永遠と超えられない父の背中を見て、生かされ続けている。

7年前に不治の病で父を亡くした。
あれだけ、自然を愛し山河を愛し、異常なまでに食に対する執着を持っていた父にとって、最も過酷な食道の癌であった。死期を悟り、病室のベッドで鉛筆と筆を執った父。
最後に父の思いに残っていたのは、少年の頃に宮川で遊んだ 「どてかぶ の 想い出」であった。
日が暮れるまで川で遊んだ父の少年時代。本当に楽しかったのだろう。そして今、川がつないでくれた命に生かされている僕は、あなたの息子に生まれてよかったと感謝している。
ありがとう。


そんな、よき時代の宮川。父の最期のエッセイを、次世代の子供たちに、そして今を生き抜く皆さんに贈りたいと思います。
これからも川が命をつないでくれることを願って。
(おわり)





「どてかぶ の 想い出」

父の最期を供にした絵物語。昭和10年代の宮川を描いたこの絵巻は完結しておらず、続編を書きたかったようだ。
父の想いは、今も野山を山河を駆け巡っているに違いない。

田中 真策   昭和9年飛騨高山に生まれ、平成12年没。享年66才 絶筆
  • どてかぶ・・・大物のカジカ
  • 中橋(なかばし)・・・高山の中心を流れる宮川の中心にかかる、赤い橋。高山が紹介されるとき必ずといってよいほど、映像として紹介されるシンボル的な橋。「どてかぶ の 想い出」はこの赤い中橋のすぐ上流での話である。
  • 洲崎(すざき)・・・飛騨高山で3指に入る 老舗料亭。高山の宗和流懐石を今に伝える。
  • 日枝神社(ひえじんじゃ)・・・春の高山祭りの氏子である神社。
  • 山王川原(さんのうがわら)・・・「どてかぶ の 想い出」の舞台。この地域は山王(さんのう)呼ばれ、春の高山祭りは山王祭りと地元では呼ばれる。





田中 秀人





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