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SAURUS > エッセイ > 田中秀人 > 2008年秋 遥かなる我が飛騨の川からのメッセージ
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Tokyo Rod & Gun Club
田中 秀人
ESSAY: Top Notch


ESSAY TITLE




猛烈な暴風雨が全てを飲み込んでいく。窓の外はバケツをひっくり返したような豪雨。
そんな軟弱な表現には見当違いの、強烈で岩をも砕く巨大な滝のような豪雨が小さな街を襲いはじめた。
数十メートル先も霞んで見えない。「ゴーッッ ゴーッッ・・。」雨なのか地鳴りなのか。聞いたことも無い天の怒りの叫び声が街を丸ごと飲み込んでいる。
僕は今、次世代の子供たち(僕のクラフト プロダクト)を世に送りだそうと工房にこもっている。


「しかし、これ本当にひどいね。何事も起こらなければいいけど・・・。」
彫刻刀を震える手で一段と強く握り締め、工房の窓を激しくたたく暴風と共に、
本来なら優しく夕暮れに差しかかりまどろむこの時間帯を、どす黒い雲が物凄いスピードでこの街の上空を覆いつくし始めた。
「台風が来るんだよな。何事も起こらなければいいけど。」
この時僕は、あの甚大災害の序章に直面しているとそこまでは思っていなかった。


心配は想像以上の悪夢に変わって行った。
高山市内もその下流部にあたる、飛騨市でも川が氾濫し暴れ龍と化している。
消防のけたたましい鐘の音が縦横無尽に町をかき回し、さながら大地震のさなか大火災でも起こったかのように、慌しく緊急車両の行きかう音に街がまきこまれている。
人々の怒号が嵐とともに街角に響きはじめた。
「おい、土嚢はもう無いのか?役場の助っ人はまだ来ないのか・・・!」
商店街の店舗にもあふれた水が次々と押し寄せ、土嚢を積んでゆくが間に合わない。
「何をやっているんだ!早くしろ。」人々が怒鳴り散らしている。


僕の携帯にもSOSの連絡が入る。
「アトリエが濁流に飲まれている!流されるかもしれない!」
僕のアトリエは標高1000mの場所にある丸太小屋で、その前は水深20cmほどの宮川の雫。ほんの一滴の流れ、支流の支流のさらにその分流である沢が流れている。
その小さな流れまでが荒れ狂い、大木をも流す土石流を起こしているらしい。
慌てて仕事を打ち切りアトリエに向かう。


夕刻であるのにも関わらず深夜のように真っ暗な空が辺りを覆いつくす。
国道を進むワンボックスカーは猛烈な暴風雨にハンドルをとられ、半分水没したアスファルトの上を嵐に飲み込まれ急ぐ小船のように、水しぶきを上げながら遥か遠くの明かりを目指している。
「ま、前が見えない・・・。」全速で豪雨をかき分けるワイパーはもはや作動しているだけでその使命は果たしていない。運転を続けることさえ無謀な状態だ。
「これ、やばいな。車が止まったら・・。」最悪の事態を連想して思わず言葉が出なくなった。唯一の連絡手段、携帯電話も圏外に置き去られている。とにかく前に進むしかない。

アトリエを目指す、ワンボックスカーの先に赤い非常灯が振られているのが目に入ってきた。2人、非常灯を振って行く手をふさいでいる。

「通れませんか?駄目?」

窓を少しだけ開けるが、物凄い勢いで風と雨が吹き込んでくる。

「この先の橋が流されそうです。通行止めになっています。運転されるのも無謀ですよ、そのすぐ下も橋に水がかぶっている。戻れなくなりますよ、早く帰宅してください。」

警察官2人が陸路の封鎖を告げ、追い払うように僕に帰れという。
(貴方たちこそ危険だ、帰ったほうがいい。)ご苦労様と心で呟きながら、今来た悪路を再びたどって行った。



ラジオのスイッチを入れる。
「ジャジャーッッ ザザッッ ッザッッ・・。」電波の悪い町外れで、かろうじて地元の
FMにチューンして耳を傾ける。
「豪雨と河川氾濫のため・・・、ジーッッ ザザッッ ザ・・通行止めになっている区間は、158号線の一部区間、ザザッッ・・41号線の一部区間、157号線と県道の山岳部・・・。JR高山線は運休となって・・・。キーーッッ ザザッッ・・・。」
雑音と途切れ途切れの電波の中、沈着冷静で機械的なアナウンサーの声がFM放送から響いてくる。隔離された孤独なワゴン車を破壊しようと襲いかかるようにたたきつける嵐。


愕然とする。「この町から誰も一歩も出ることができない。それどころか、どこからも助けがやってこない・・・。こんな事が有るのか・・・。」
陸路はたたれ、鉄道もストップ。飛騨の小さな盆地はこの現代社会のさなか、全くの陸の孤島と化してその小さなお椀のような盆地に荒れ狂った宮川の怒号が押し寄せ全てを飲み込んでいくのだ。
貧弱な民は、巣を壊された蟻の群れのように町中をあたふたと逃げ惑っている。
どこを探しても逃げ道や出口は無い。ただ慌てふためき、あても無く道に迷うしかなかった。

平成16年 10月20日 夕刻をピークにあの壊滅的な大被害をもたらした台風23号が奥山の小さな町をずたずたに寸断した。


次の日になると、被害が恐ろしく大きなものになったことを知る。
宮川にかかる何本もの橋が流され、JRの鉄橋や線路も流され角川から富山(宮川の下流)の区間の復旧と高山線全線開通まで2年以上かかる甚大な被害だった。
道路は数百箇所で崩落し生活道路は寸断され、市街地も床上床下浸水がそこらじゅうで民の日常を奈落の底に叩き落し、泥臭くそして哀しく街があきらめの涙を流している。


そうした僕も被災者の一人となった。
アトリエの基礎は洗われ建物は傾き、その前の小さな沢にかかる鉄筋の基礎を持った橋も無残に流され橋げたの一部が下流に少し流され残骸だけが残っている。
災害はどうにもならない、あきらめのため息に町中が包まれてしまった。


そしてこれだけの甚大災害で一番ひどい被害を受けているのは、遥かなる我が飛騨の川なのだ。
河川敷は押し流され、河岸は崩落し、土手も護岸も川にかかる多くの橋も流されている。
このホロコーストのような荒れ果てた川原を覗き込み、全身から力がぬけて崩れ落ちてゆく自分を支えきれなかった。


「産卵床は破壊されただろう。あの氾濫のなかトラウトは生きているのか・・・。」
不安な気持ちを残して厳しい冬を迎えた。
言うまでもなく重苦しい鉛色の酷冬となった。


春になると雪代の中で物凄い、災害復旧工事が始まった。
メコン川のような流れ。河川の流芯があった部分を見渡す限り数十台の重機が占拠している。
もはや釣り人の姿はどこにも無い。大きくため息をつき、うなだれて帰路に着く。
「もう駄目だ、あの本流の友人たちはその命の繋がりを止めてしまったに違いない。」
誰しもがそう思った。
胸が張り裂ける無残な流れが目前に広がった。


無能な人類はそれでも川を押さえ込もうとする。
またしっぺ返しが全国各地で・・・、いや全地球規模で起こっているのか。
ゲリラ豪雨をはじめ、温暖化の影響は人類のライフスタイルの変更まで余儀なくされるだろう。


高度成長の時代から何かがおかしくなった。
人の営みと自然のバランスが飽和状態になり、それを越えて悲鳴が聞こえてくる。
その逆襲が人類を襲っている。


文明は川をいじり、治水利水でダムを造った。
それでもたくましいトラウトたちは人造湖を海に見立てて適応して巨大化して行く。
回遊してギンピカの魚体を手に入れる。
恐るべき生命力だ。
そんなたくましい友人たちだが、さすがに今回は災害に襲われ川が死滅した。
僕もそう思った。
しかし、僕が思う以上に友人たちはさらにたくましく生き抜いた。


災害の次の年にビッグトラウトと本流で出合ったときは、喜びと、人類への嘆きと、友人たちのたくましさと・・・・、前後左右にグラグラに心を揺さぶられ、めまいがした。
だが当然あの災害により、故郷の流れを生き抜くトラウトの数は5分の一にまで減少してしまった。
しかしその中でも生き残った強いものだけがDNAをつないでくれたのだ。


この4年で災害復旧工事と称される川いじりはほぼ完結した。
以前にもましてフラットにされ、頑強な護岸に固められた区間もさらに増えた。
これが火に油を注ぐことにならねばと心配ばかりが先走る。


しかしこの4年間で生き残った強いDNAがまたその勢力図を広げようとしている。
4年間ステップアップ方式で魚の数、サイズ共に確実に戻ってきている。


一昨年はワイルドレインボーの産卵床を発見して60cmを超えるレインボーのペアの産卵も確認した。昨年は40cmオーバーのヤマメがペアリングして産卵の準備をしていると後輩の釣友から連絡があり、僕もその産卵行動をそーっと覗かせてもらった。
近くを見るとその産卵床が一つならず2つ3つと確認できた。
全国の、それも本州の東海地方のド真ん中でだ。
こんな川は本州にそんなには多くは存在しないはずだ。
強いDNAが命を繋いでいるのである。それも観光地のど真ん中のほんのすぐ近くでの出来事だ。
一気に気持ちが高ぶり、我を忘れる高揚感に包まれ、川にそのまま吸い込まれていくのではないかと錯覚した。


2008年は全国各地を釣りで行脚した。
そうした中でも飛騨に舞い戻り地元の川にも良く顔を出した。
それは友人たちの様子が気になって気になってしょうがなかったからだ。


たくましく生き抜くトラウトたちが居る。
この流れを誰にも知らせないでと言う人たちも多く居る。
若き日の僕もそう思ったかもしれない。
でも今は少し考え方が変わってきた。
このたくましい友人たちと命が繋がっている流れを、そしてこの喜びを!
僕らの願いと心が通じる人には、同じようにこの感動を感じて欲しいと願うようになった。


僕は地元の川の情報を人に伝えるときは、僕の気持ちも伝えるようにしている。
「トラウトたちを大切にしてやってください。」
本流の鱒たちはダムにより海との交流を遮断され、遊漁期間の3月から9月まで常に命の危険にさらされている。
人間に追いやられても、いじめられても、それでもたくましく命を繋いでいる。
飛騨の川は、C&Rで守られているわけでもなければ、全ての種沢が禁漁で保護されているわけでもない。そんな中でビッグトラウトは今も太い流れの流芯を力強く陣取っている。
だからこそ、訪れる釣り人にはこの友人たちにたいして、紳士にそして優しく接して欲しいとお願いしている。
ファイトは激しくていい。戦いが終わった後に彼らの命に対して愛情を持ってケアーしてやって欲しい。
そして同じくこの地を訪れるあなたの仲間が居るのならば、この思いを繋いで欲しい。


その本流で5cmや7cmのブラウニーを引けば面白いように30cmトラウトが釣れるだろう。でも僕らにとってそれは次世代を担う子供たちだ。
飛騨の本流を訪れるアングラーには、出来ればしっかりとしたタックルで50cmオーバーに狙いを定め、さらに60cm、70cmオーバーを狙って欲しい。
そして僕らの友人である鱒たちは、遡上魚のように広い海で数年狙われずに大きくなっている訳じゃない。いつも隔離されたエリアの川で命の危険にさらされながら、さらに大きくなるDNAを新しい命に、その大型になる素質を繋いでくれているのだ。
キャッチ&リリースは飛騨の川のレギュレーションではないのでお願いにしか過ぎない。しかし、少なくとも僕のネットワークで釣りをするアングラーには本流でのキャッチ&リリースをお願いしている。


硬いことを言うつもりは無い。僕も完全にキャッチ&リリースかと言うと、食べたいときは必要な分だけ川から頂くこともある。
岩魚を食べたい人も居るだろう。
飛騨の本流の魚を食っても旨くない。ましてや50cmのイワナをぶつ切りにして食しても旨くない。それならば苔むした谷川で、谷の香のする塩焼きサイズのイワナを家族の食べる分だけ自然から頂くことが良いと思う。
それはとても心を豊かにしてくれる川の幸であり喜びであると思う。


飛騨に遊びに来てくれるアングラー同志たちは大歓迎。
川は誰のものでもない。皆のものだ。
僕は飛騨の川を独り占めする気もないし、地元の人間だけが楽しむ権利を主張するのもおかしな話だと思う。
全ての川は全日本国民の財産であって、個人の思いでどうこう言うものではない。
僕が地元の川を紹介すると快く思わない人が居るのも知っている。


しかし、釣り人だけがこの川の悲鳴を聞くことの出来る唯一の人種であると感じているし、
飛騨の川に触れ、同じようにこの川のビッグトラウトのことを大切に感じてその感動に触れてもらい、その中でわれら飛騨人(ひだびと)のおもてなしの心を感じてもらえたら本望だと真に願っているのだ。
そしてその思いを次世代に繋げてゆくのが僕らの使命だと思う。


ビッグトラウトに失礼の無いタックルで、50cmオーバーを狙う。これが礼儀だと思う。
いつまでもそんな豊かな太い流れであって欲しいと故郷の川を思うたびに、思いはより強くなってゆく。

「ドカッッ!ギーーン!」「ズズッッ!ズズッッ!」ドラッグがすべり、胸の鼓動が全ての音を消してゆく。「や やばいぞ・・・・」

そんな出会いを求めて、2008年の本流で数本の50cmオーバーのレインボーと2本の50cmオーバーの大岩魚、数多くの40オーバービッグトラウト、尺ヤマメや次世代の30cmトラウトたちが遊んでくれた。あの災害を経て、沢山の友人たちに会えた。
これで満足といわずして何が幸せなのか、何が喜びなのか!
しかもこの4年でこの川で会えるトラウトの数もアベレージサイズも年々上がっている。
来年はもっと素晴らしい年になると確信がある。


気の早い兄貴分と後輩の釣友と、「来年の本流はどうよ?」って話がはずむ。
「あの工事が終わって出来たプール、絶対良いですよね!解禁日はあそこかな・・・。産卵終わって降りてきたやつはあそこに溜まりますよね!」
「何言ってんの!みんなそう思っているよ。解禁日は銀座だよ。」
たくましいトラウトたちは、新しい人造の構造物も絶好の住みかにしてしまう。


「たくましく生き抜く渓の友人たちよ。」

今日もあの流れで力強く、大きな鰭を張って命を繋いでいるんだ。
春まで待っててくれよ!また会いに行くからな!




田中 秀人





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