今から10年も昔のこと。私たちの「思い出のバスポンド」が涸れてしまった。
中央の僅かな水溜りには、背びれを出して怯える魚たちに群がる無情なカラスたち。
欲張りな彼らは、自分の体のサイズに近いバスを抱えながら、せっかちに黒い翼をバタつかせ、隠れ家へと運ぶ。なかには思い通りに運べないモノもいて、草むらの中に落とされた、ある意味、気の毒なバスもいた。
自然の摂理とはいえ、目の当たりにしてしまった驚愕の光景。
偉大なる自然のパワーにより、食物連鎖の頂点が入れ替わる瞬間を私は目撃した。
ここで出会ったバスたちはサイズを問わず、いつも最高のプロポーションで迎えてくれた。
純粋無垢なバスたちは、セオリー通りのポイントに陣をかまえ、教科書通りのアクションに対していつも果敢にアタックしてきた。
初めて竿を握る者たちには「釣りの楽しさ」を、釣り好きには「ゆとりの時間の過ごし方」を教えてくれた。
流れ込みは動物の水飲み場となっており、幾度となく、イタチやタヌキと遭遇した。
右奥の浅瀬には、鹿、イノシシをはじめとする多くの動物の足跡がいつも残されていた。
春になれば、ベッドを守るバスのつがいを眺め、やがて訪れるだろう新たな生命の誕生に私たちの心は癒された。
夏には、月と星がもたらす過剰な光の夜空を眺めながら酒を酌みかわし、秋には土地の人から教えてもらった「ムカゴ」を採って、調理した。
その思い出深いバスポンドが、涸れてから10年という長い歳月を経て、逞しく復活した。
横切った魚影を目で追いながら、半信半疑で手前のワンドを覗き込む。水面が木洩れ日に照らされたとき、一年生バスたちが楽しく回遊しているのが見えた。
今日は、いつものバスポンドの帰り道、気まぐれの寄り道だったが、こうも次から次へと広がる懐かしい景色や集団で泳ぐスクールバスたち、アメリカザリガニの隠れ穴などが眼前に現れると、自然と衆多のバスとの懐かしい思い出が蘇り、「バスを釣りたい」という気持ちが無性に駆り立てられる。
タックルはスーパーストライクと2500C。ルアーは、当時のパートナーだった厚リップではないが、タックルボックスには昔の面影を残す「
バルサ50・クラシック」がある。
流れ出し横にある、岩盤の窪みギリギリにルアーをそっと着水させる。
リールのハンドルを一秒間に1回転半ほど回し続けると、お尻をリズミカルにウォブリングさせながら、いい具合に引き波を立て、バスにアピールしてくれる。
ガムシャラだった昔のように「バスよ、気づけ!見失わずについてこい!」なんて言葉を頭の中で巡らせながら、スローな時間の流れの中で何度も同じ動作を繰り返す。
そして待ち焦がれた瞬間。昔と変わらない、いつもの立ち木横のポイントで、さほど激しくはないが、心地よいバイトを受けた。
それは当時の末裔であると思わせるような赤茶色したオールドバスだった。
2007年初秋、朝9時。
懐かしい思い出とともにこのバスは、新しい情景を私の脳裏に焼き付けてくれた。
Jun