パソコンのデータを整理していたら懐かしい写真が出てきた。
写っているサカナの名前は「メザシ」。
名付け親は則さんである。
とあるリザーバーで同船中、「JUN、ちょっと使ってみて」と唐突に則さんから手渡されたマットタイプのホッツィートッツィーW。
「どんな感じだ!?」の問いに、
「バルサのナチュラルな着水とマット独特のウッドのような水絡み。いい武器になりそうです。」
と軽い会話を繰り返していた次の瞬間であった。
「ブシュッッ!!」
風にあおられた水面で繊細なバイトがあった。
「バイトだぞ、JUN!!」
「ウィッス、ノセました。」
「ノセたはずなんだけど、ホッツィー、水面跳ねてます。ハッハッハ。」
サカナの抵抗がほとんどない。それもその筈。サカナはルアーと同サイズ。
「ガッハハ、JUNがメザシを釣ったぞ、ガッハッハ、それにしてもよく釣った。見事だ。それが巻き合わせか!? 即合わせだな。 PEならではの芸当だな。」
使っていたロッドはフェンウィック2054。リールは2500C。ラインはPE40ポンド。
これが自分のスタイルである。それを則さんは知っていて、ザウルスにとって異端児である私の釣りを微笑ましく傍観していた。これが則さんとの最後の釣行となった。
最初に則さんとお会いした時、私は彼の問いに対し「ZEALとSTOCKとへドンをよく使ってます」と答えた。
則さんは「シゲ(柏木さん)のところのルアーか、アンカニーいいね、あれはいいね。で、うちのはどうなんだい。」
私は「・・・アッハッハッハ、最近使ってません。」と答えた。
最初にログハウスに招待されたときの「則さんの印象」、ありゃあ、とんでもなかった。
ワインを飲んで盛り上がり、バド系のルアーで盛り上がり、話の流れの中で他社のバド系ルアーを彼に見せた。
するといきなりだ。
「これは俺に対する侮辱か!!」と烈火のごとく怒りだした。
私は(おいおい、なんなんだい、このオヤジは!!!)と心の中で叫んだ。
「こいつは物真似だろ」と則さん。
「こんなもの俺に見せるな」とさらに則さん。
『カチン!!』ときた。
「オリオリだってバルサBの物真似じゃないですか」と切り返す。
するとすぐさま、「オリオリにはラトルが入ってるじゃないか」と則さん。
叩き込むように「お前には自分ってものがあるのか!! お前の釣りへのポリシー、スタイルをいってみろ」
思わず熱くなった私は「バスポンドの空気に触れて釣りをする。PEラインでブッシュの奥の奥までぶち込んでデカバスを引きずり出す、これが俺の釣り。それから好きなルアー(メーカー問わず)を使って推理して釣果を上げること。これが楽しい。」と即答する。
その場に「ピーン」と張り詰めた空気が流れる。
すると則さんは一呼吸おいて「それってさ、全然美しくないじゃんか、ガッハハハハハ」と大笑い。
それが則さんと心が通じあった、「はじまりのはじまり」だっだ。
あの時のやり取り、懐かしい思い出。よく飲みながら聞いた「開高さんとのくだり」を思い出す。則さんは開高さんに攻められた時を思い出していたのか。突っ込まれる自分はたまったもんじゃない。内容は則さんのエッセイ通り。若干ソフトタッチに書いてあったが(笑)
千葉での釣りの帰り、いきなりログハウスに遊びに行く。
すると則さんは、「いきなり来るなと言っただろ」と怒り出す。
すぐに「会いたくなったんだから、しょうがないじゃん」と言うと、則さんはニヤニヤしながら「しょうがねぇな、朝飯食べたか」と言ってコーヒーとトーストを用意してくれる。
二人きりで話す時、釣りの話はほとんどしなかった。
お互いの家族の話とか、仕事の話とか。いろんな悩みとか。人間関係のしがらみとか。
則さんはバス業界のアクターである。トップウォータープラッガーの頂点である。
そんな彼が他業種である私と、またスタートラインがザウルス信者でない私と話す。ふた回りほど年齢は離れてはいるが、着飾らなくていい、アクターにならなくていい、則さんにとって私は「最年少の友人」であったと今にして思う。
亡くなられたとの知らせを受けた私は、則さんにいち早くバスを見せることが何よりの供養と考えた。
ルアーは3つ。メザシを釣った「ホッツィートッツィーW」、8月発売の「ウッドゥンホッツィー」、そして同じくリザーバーの時、渡されたトリケラディフェンダー使用の「バルサ50クラシック・オリジナル」。
いつもの野池に車を走らせる。
このルアーで釣りたい。絶対に釣ってやる。こんな気持ち初めてである。
アドレナリンが出まくっている。めちゃくちゃ殺気立っている。
キャストがビシビシ決まる。大切なポイントは絶対逃さない。
一投も無駄にするものか。
バスも必死に答えようとしているのか、立て続けにルアーに襲い掛かってくる。
派手なバイトを繰り返す。
バスの方が焦っている。2度食い、3度食いを繰り返す。バイトのポイントが微妙にずれる。
バスもわかっているのか、必死で答えてくれる。
「ドッバァーン」・・・遠慮のないアタック・・・ノラナイ。
しかし、すぐさま「バシャーン」・・・巻き合わせでフッキングさせる。
「グィッッ」かなりの重みがロッドに圧し掛かる。
なかなかのサイズだ。「メザシ」じゃない。
5メートル先で水面が盛り上がり、豪快なジャンプとともにその姿を現す。
千葉で、ザウルスの地元で、バスが則さんに答えてくれる。
「バスたちよ、則さんは天に召されたよ。」
則さんの生み出したルアーには魂が篭っている。本物は裏切らない。
最大限の夢と可能性を与えてくれる。それがバルサ50だ。
則さん、あなたがいなくなってもあなたの作った半世紀の道標は次世代へとつながっていくよ。
私は則さんから釣りの技術は教わっていない。ただ、釣りは人生を幸せにすると教わった。
「お前の好きな釣りをしろ!」
それが則さんから下された自分への使命。
それがいつか則弘祐スタイルにたどり着くかもしれない。
古い雑誌に則さんは「2010年の自分」について語っていた。
「2010年といえば、僕ももう63歳になっている。
いい爺さんだ。
いい爺さんだが、バス釣りはやっているだろう。
こんなに楽しい釣りを、やめられるものじゃあない。
ただし、爺さんだから頑固だ。
わがままだ。
自分が楽しい釣りに、徹するだろう。
しかも、そういうバス釣りが本当なのだ、と言い張っているだろう。
バス釣りは、いい大人が遊び心に浸り切って、
魚と知恵比べして、技比べして、ゲームをする釣りだと、
大見栄を切っているだろう。
いや。
もういい爺さんになっているのだ。
今の僕よりは、もう少し枯れているだろう。
自分一人でか、
あるいはごく気の置けない仲間二、三人と一緒にか、
気に入った池に行って、
自分の好きなやり方で、
バス釣りに浸っているだろう。」
もうすぐ秋だ。
則さん、芦ノ湖に行ってくるよ。あの時のメンバーといっしょに3年前の則さんとの思い出に浸ってくる。
釣果はどうあれ、ザウルスの新たなる「はじまりのはじまり」だ。則さん、報告を楽しみに待っていてくれ。
その頃には、みんなの悲しみが微笑みに変わっているだろう。
(2010年8月)
Jun