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SAURUS > エッセイ > 田中秀人 > 遙かなる我が飛騨の川 (2)
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Tokyo Rod & Gun Club
田中 秀人
ESSAY: Top Notch


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僕は少年の頃から毎日宮川で遊んでいた。



今じゃ、ルアーフィッシングとかプラッギングだとかいってるけど、本当は田舎の悪ガキそのままなんだ。
いまだに、春から秋までルアーフィッシング、冬は愛犬を連れてのハンティングと、ずーっと宮川に遊んでもらっている。全く進歩無く子供そのままに体だけ大きくなってしまった。ほんとうにこまったものだ。


昭和40年代飛騨の山奥にて。
春から初夏は川虫をとり、ミミズを掘り、ミャク釣りで渓魚たちに遊んでもらった。
夏になると、ヤスに引っ掛け、投網に、ふとえ針(置き針でうなぎなどを獲る)手つかみと魚と戯れることは何でもやっていた。
まったく「ぼくの夏休み」に出てくる麦藁帽子に白いランニングに半ズボンの少年そのままだった。本当に楽しくてあっという間に時が流れていったんだ。


小学校の高学年になってくると、釣りのウエイトが大きくなって、飛騨毛針(テンカラ)やアユの友釣りなどに傾倒し小学校5年のときに釣りキチ三平ブームにも影響されてルアーフィッシングに出会った。


その頃にぼくは、人生の師匠、則弘祐氏の執筆した雑誌フィッシングの記事と運命的な出会いをとげるのである。
あの伝説的な中禅寺湖でのブラウントラウトのプラッギングの記事のこと。
湖底に消えていったあの巨大なブラウントラウトは衝撃的で、夢に出てくるほどだった。
憧れというよりも、夢でうなされるほど強烈にあの世界に引き込まれていった。
もしあの記事が掲載された号が手に入るのであれば、是非ザウルスファンに一度読んでみてほしい。
あの衝撃の記事をきっかけにルアーに夢中になっていく少年が僕の同世代にはたくさんいるはずだ。それほどの大事件だったのだ。



あのころのミノーはラパラとかレーベルとかしか無かったし、値段は小学生の財政事情では手にすることが出来ないほど高価で、長い間こずかいをためて数千円もするラパラの9cm金黒を一つ手に入れた。もったいなくて最後までケースに入ったままだった。
思いが強すぎて使うことが出来なかった。
たまに箱から出し、ミノーを手に取り、奇声を発しながら「ウォォーッツ!」とかいって眺めていたような気がする。


それからプラグに目覚めた僕は、飛騨のリザーバーの釣りに夢中になってゆく。
しかし、ミノーは湖との定説に縛られ、川でのルアーフィッシングはスプーンやスピナーを使って淵や、止水を狙った。
小さなトラウトはよく釣れてそれはそれで楽しかった。


ここで2度目の衝撃が僕を襲った。
十数年前の「ザ・本流」という冊子の中に書かれていた則弘祐氏のサクラマス本流プラッギングの記事である。
当時、湖のミノーイングやハンドメイドミノーのブームなど、ミノーイングは大人気で、止水でのグリグリメソッドやレイクトローリングなど、釣り方も人気も成熟していたので、ミノー=止水で使うルアーとの認識が定着していた。



則氏の執筆された文章によると、本流でしかも瀬の中で、ミノーをU字に横切らせる。ギラッツ!ビーンと糸なりがする。ゴッッツと60cmを超える銀鱗がミノーを襲う。
「本当かよ!嘘だろう?」僕と同世代のルアーマンたちは皆耳を疑った。
今じゃ大ブームの本流プラッギングだが、本流の瀬にミノーを持ち込むなどという発想は当時誰一人として持っていなかったのだ。


僕は興奮のあまり体が震えた。心臓を鷲づかみにされた。

でも僕は嘘だろう?とは決して思わなかった。


実は思い当たる節があったのだ。
宮川でアユ釣りをしていた頃、得体の知れない大物におとりアユを獲られラインごと引きちぎられる事が結構あった。
「何だ今の!巨大なニジマス?大岩魚?」正体は確認できないままだった。
でも、そこにミノーを投げてみようという発想にまでは行き着かず、そんな流れの強いところで泳ぎきるミノーの存在すら知らなかった。


そして「ザ・本流」則氏のエッセイが僕にたたきつけられた。
ズキーンと脳天から足のつま先まで衝撃が走り、すぐに全国の釣具屋に電話をしてブラウニーを探した。


田中 秀人






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