話は突然変わるのだけれど、つり人社から最近出版された「浮世絵一竿百趣」という画集の本があります。釣り歴50年、釣魚史研究家でもある金森直治さんが蒐集なさった、釣り風景ばかりの浮世絵100枚。
登場するのは町人、役者、武士、伝説上の人物などさまざま。釣りの対象もさまざま。ただしひとつだけ共通していることがあるのですね。
みんなとにかく釣りを楽しんでいる。本人はもちろんのこと、周りも楽しんでいる。描いている作者も楽しんで、面白がっている。
もちろん、お互い、釣りをしている人間同士よくわかっていることなのだけど、本人にとっては、そんなのどかに楽しんでいられるもんじゃない。
たとえばプラグで誘っているときだってそうだ。
このアクションならどうだ。だめだったか。じゃ、これならどうだ。
とばかり、次から次へ、乏しい知恵を働かせ、拙い技を尽くして、誘いをかける。魚がいつ来ても即応えられるようにと、気持ちを集中しきっている。
・・・のではあるのだけれど。もしかすると、はたから見たら、のどかに遊んでいるように見えるのかもしれない。ほんとうをいうと、人にどう見えようと構うことはないのだよね。
のどかに見えようと見えまいと、大きなお世話。楽しんでいるかいないかは、本人の問題なんだから。
ただ、今は、本人の問題である楽しみが、ちゃんと実現できているか。これが問題。
釣りというのは、魚が相手になってくれてこそできる遊びなのだから、相手をしてくれる肝心の魚がいなくなってしまったら、釣りという遊びは、成り立たなくなってしまう。
このところずっと、釣り業界は不景気だそうで、最大の原因はバス釣りが下火になったからだとか。害魚問題がマスコミで騒がれるようになったり、いろいろな自治体でバス放流を禁止したりするようになって、バス釣りをする人間がいなくなったというわけ。
多少はそれもあるかもしれない。でも、バス釣りの面白さを味わった人間が、そんなことでバス釣りを止めてしまうとは、僕には到底思えないんだなあ。
いちばんの理由は他でもない、バスが釣れなくなった。このことに尽きるのではないか。
釣れなくなった直接の原因は、いろいろ考えられるだろう。
もしかすると、バスがますます臆病になったのかもしれない。
もしかすると、バスが元気を失ってしまったのかもしれない。
あるいはもしかすると、バスの数が減ってしまったのかもしれない。
でも、根本の原因は、バスを釣る人間達が、僕もその一人だが、「バスは生き物である」ということをつい忘れてしまって来た、そのことにあるんじゃないだろうか。
生き物であるバスが、元気に生きて、元気に釣りの相手になってくれるにはどんな環境が必要なのか。まずはそれを突き止めて、それをみんなで守る。
またいいバス釣りを楽しむために、これをしなければいけないんじゃないだろうか。
山田 周治