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SAURUS > エッセイ > 則弘祐 > 藤沢周平の描く世界と、主人公たちの視線
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ザウルス・スーパーバイザー
則 弘祐
ESSAY: Hirosuke Nori


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「キチッ・キチッ・チチチ・・・・・」

こまっしゃくれてモズが鳴く。
もうすぐ霜が降る。
冬が来る。
そんな感傷に浸っていると、いきなりウグイスが高音を張った。
12月だというのにどうなっているんだ。


今年の僕の釣りの旅は、3月16日の新潟県三面川の解禁から始まった。
初日、水明橋下で痛恨のバラシ。尻のフックを食ったのだろう。
ギラッ、ギラッ、ギラッ。3回の首振りでバレた。ヴィブラをアップに投げて、手前のカケ上がり、リトリーブを終わりかけた直前に食った。悪いパターンである。残念。以後1回の当たりもなし。


つぎに最上川の本流。
今年は雪が少なかったせいか早くから良く釣れた。
そして赤川。鮭川。米代川、玉川と転戦する。さらに九頭竜川。熊野のサツキマスと続く。困ったことにこの時期はどの川もベストシーズンだから忙しい。
さらに僕は欲張りだからこのタイトなスケジュールに北海道を加えたり、バス釣りを入れたりするものだから、ほとんど東京は留守。もっぱら自宅はVWユーロバンキャンパーということになる。


今年もまた、たくさんの友人と会うことができた。息子のように若い人とも知り合った。そして古くからのザウルスのファン。
僕はこの人たちからエンジンの給油と充電を受けることができる。
僕は心の翼に2基のエンジンを持っている。

1発は釣りと狩猟。
もう片翼の2発目はモダンジャズとオーディオ。

この双発のエンジンのお蔭で、アフリカのサバンナも駆け抜けたし、熱帯雨林もシベリアのツンドラも、気温45℃、湿度70%、コアラもウサギもいないオーストラリアのアウトバックも、そして世間の闇も迷わず翔んでいけたような気がする。この双発のエンジンがなければ、どこにも行けない、どころか生きていくことができない。自分の居場所がない。自分がいない。




それにしてもどうして、こうも最近東北の川に惹かれるのか。
僕の母親が秋田出身で、僕自身が秋田県生まれということもある。僕のDNAの半分は東北だ。
でもしかし、それだけではない。
とくに山形の川に強く魅了されるのはなぜか。

そう、それは作家、藤沢周平さんのせいなのである。
いま僕は藤沢周平に心酔している。
ご存知の方も多いと思うけれど藤沢は山形県鶴岡出身だから、最上川、赤川、出羽三山、鳥海山。彼の小説では明らかにその自然が登場する。その森羅万象、万有を描く絶品の描写力が僕を打ちのめす。


僕はその自然の中で釣りをする。たとえば最上川本流。清川橋直下。
今日も僕はそこでサクラマスを釣っている。
最上川本流は広く、太く、強いから、とうてい釣りの対象となる川ではない歴史的な川だと思っていた。
ところが今年の雪の少なさのせいでニゴリも入らず、水量も釣りのできる本流プラッギングのチャンスであった。
その日は朝から晴れていて冬景色の中に太陽だけが春の力を増していた。時おり吹く強い風はまだ真冬の寒さを残していて庄内の冬の厳しさを思い知らされる。
晴れていた空を急に冬の雪雲が覆ってきていまにも雨か雪が降りそうになってきた。そして僕が清川橋に着くと待っていたかのように降り始めた。まさに「春は名のみぞ」なのである。


橋直下は流れが速く急な駆け上がりでこのポイントでザウルスの森下が1本取っている。
清川橋は藤沢周平の長編小説「回転の門」の主人公清河八郎の生家が近い。
「回転の門」は悲運の草莽(そうもう)の志士、清河八郎。その実在した人物を描く小説である。
清川橋直下、僕はほとんど上流にアップストリームでCDレックスのパープルバックを投げる。ポイントは手前だから遠投せずに静かに歩き、静かにキャストをくり返す。くり返しながら思う。

清河八郎が見た最上川はどんな川だったのだろうか?

橋や護岸は当時ないにしても流れはどうだったのだろうか?僕が釣っている流れと同じなのだろうか?
大きく息を吸う。目を閉じると暗い視野のなかにひと筋の光が現れる。やがてその光はさらに大きくなってその中に、斉藤元司(のちの清河八郎)が家出を決行し江戸へ向かう姿が見えてくる。十八歳の元司が軽船に乗り、酒田湊に向かって滑っていく船の艫(とも)にじっと座っているのが見える。

次ぎに羽黒の山伏(やまぶし)が村にやってきた。
「春秋山伏記」
ストーリーの舞台は赤川。櫛引。赤川は上流を目指すと、正面に月山、背後は鳥海山という素晴らしい環境の川でとくに月山は僕のような無宗教者でも遠くその姿を見るとスピリチュアルなものを感じる。
小説では櫛引通、(野平村)は赤川沿いにある架空の村である。ではあるけれどこの村は明らかに現在の櫛引である。
その村に羽黒から山伏、大鷲坊(たいしゅうぼう)がやってきて、足の悪い娘への祈祷、人に憑(つ)いた狐の退治。女房の浮気の後始末にと活躍する。

そこには藤沢の描く庄内の四季と村の暮らしがある。
そしてそこで語られるのは国言葉。庄内弁の圧倒的な強さである。
言葉と言うのはこれほどまでに生き生きと力強いものなのか。何という説得力なのか。


櫛引橋の下で釣りをする。
そこは赤川の中でも屈指のポイントで、川は絞り込まれ、ゆっくりと拡けていく。
対岸はテトラ。流心には大きな岩が黒々とあってプラッガーならまずは見逃さない。
上流の大鳥川、梵字川から流れ出す水は清冽を極めていてプラッガーとしてこの難易度の高いポイントは望むところなのである。

20年ほど前、この下流で僕は初めてオスのマスを釣った思い出の場所でもある。
僕は前の晩のワインの飲み過ぎで、車に寝ていて、やはり森下に取られてしまった。
彼が釣ったのを見て気を取り直し、夢中でキャストするその自分を対岸のテトラの上から、頭巾(ずきん)、鈴懸け(すずかけ)、結袈裟(ゆいげさ)の大鷲坊がじっと見ているような気がするのは僕の勝手な妄想だろうか。


つぎの日は最上川の支流鮭川で、またマスを釣る。
鮭川は庄内の奥座敷、新庄近くを流れる最上川の支流で、女性的なやさしい川である。
ではあるが70オーバーがいるので決して侮れない。
藤沢周平の小説に鮭川は登場しないけれど僕は金縛りに遭ったように藤沢の小説に登場する主人公たちの視線を感じてならない。


「雲奔る」の雲井龍雄。
「市塵(しじん)」の新井白石。
「密謀」の直江兼続。
...さてどうするか。


藤沢周平のマインドコントロールが解けない。
(以下次号)

則 弘祐





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