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ザウルス・スーパーバイザー
則 弘祐
ESSAY: Hirosuke Nori


ESSAY TITLE



藤沢周平の「春秋山伏記」の赤川を今度は猟犬を連れて歩く。
ゲームはキジで、サクラマス釣りのときにポイントはチェックしてある。キジもいることを確認済みで、これは釣りとハンティングを両方やるグッドスポーツマンならではのことなのだ。



犬は三頭。英セター二頭に、川に落ちたゲームの回収のためにラブラドールレトリーバー。
英セターは純英系のシャンベリー濃血の兄弟。「クリコ」(僕の好物のシャンパンの名)に「ボゥ」。

この猟犬の血統には競走馬と同じように、それは深いものがあって、ただ鳥が獲れれば良い(そういう人もいる。釣りと同じだ)というのではなくて、その顔貌や体型、さらにゲームを探索・サーチングするスタイルやポイントの姿などに拘っていて、だからハンターは理想の犬を求めて一生、夢を追うことになる。

蛾眉橋の右岸から上流に向かって入猟する。
兄の「クリコ」はシャンベリー系にしては大柄で、美しいブルーベルトンの毛並みとバランスのとれた体型で、猟芸も優雅そのものでエレガントである。(あぁ、犬バカ丸出し)また、ポインティングスタイルもスタンティーで何と美しいのか・・・・・なのである。
銃はロンドンガンの“ラング&ハッシー”。サイドロック。
水平二連の十二番の。銃身長28インチ初矢がインプルーブドシリンダー。二の矢がモディファイド。それに英国製エレーの2-1/2インチシェル、28gの軽装弾を使用。

深いブッシュの前でクリコが認定した。
尾の振りが止まり、静かにストップ&ゴーをしながらゲームを追い詰める。完全に体が止まり硬直した。それがヤブの奥に見える。ポイントである。このポイントの硬さからゲームは間違いなくキジだ。

「ヨシッ」
と同時にクリコが突っ込んだ。
とたん、オス二羽、メス四羽のキジの群鳥がすさまじい羽音とともに立った。立ったけれどブッシュが深くて撃てない。
鳥は賢い。こういう場所にしか隠れない。
最初の出会いはキジの勝ち。

進行方向前方に朝日に輝く霊峰“月山”。後方は何ともやさしい“鳥海山”。それを見ながら自分でトレーニングした犬たちを連れて歩く幸せ。生きていて良かったいち日のいち日。
キミはハンティングに興味、ありませんか?


春が来た。
待っていた梅がやっと咲いた。
と、思ったらもう満開だ。



僕は釣り人だから凛と咲く梅の花には特に思い入れが強い。
それは他ならないことに、梅の満開は春の釣りの解禁を告げるゴングだからである。桜もいいけれど、僕にとって解禁を知らせる梅は特別なのだ。
やっとそんな季節になったから、一年振りにどうなっているのか僕のプライベートポンドに行って来た。

その池は、ザウルスの工場からそう遠くない所にあって山あいに三つある小さな池だ。
そしてそこは、僕にとってバスのポンドではなくヘラ釣りの秘密の池なのである。
だからその池でノリさんは心も精神も完全なヘラオヤジなわけでバス釣りの人が来たりすると、
心の中で「ブラックあっちへ行け!」そう叫ぶのである。


誰もいない冬枯れの池で、ヤブツバキがなぜか水面すれすれ咲いている。その花の赤だけが妙に艶っぽい。
いきなり小さな波紋が広がった。たぶんギルだろう。バス=ブルーギルコンビネーション放流のミスがこの小さな池にも起きている。困ったことだと痛感する。
この池のヘラ釣りのパターンはまずエサにギルが寄り、そのギルの当たりが遠のくと、力強い押え込みでヘラがくる。そのヘラはまるで鎧(よろい)を着たようなガンメタのゴツゴツした目と頭の大きな野ベラである。


僕はこの池では十枚を限度として十枚釣れる(めったにない)と竿を納う。
梅が咲いたからあとひと月もするとこの池にまた足繁く通うようになる。




さて竿は何を使うか。
十五尺がこの池のカケ上がりを攻められる。さてどうするか。絶対の「東峰」か「夢坊」か「朴石」か、はたまた「孤舟」の硬式純正鶺鴒(せきれい)か。

ここには、僕が名前をつけた「太郎」というメーターオーバーの鯉がいて、出会いは僕の釣り座の下だった。
この釣り座は僕以外のこの池のファンがイントレを組んで足場にしたもので張り出した台の下は水である。
エサを作り直そうと古いエサを捨てて、新しいエサを作っているときだった。いきなり釣り台の下に大きな渦ができた。ビックリして見ていると突然三十センチ近くもある大きな顔が現れた。目の前に現れたわけだからその大鯉とは目が合った。僕の正体を見抜こうと僕を見たような気がした。親近感を持った。「太郎」と名付けた。
それから僕が釣り台に座って仕度を始めてちょうどエサ作りを始めることになるとあの渦が現れるようになった。たぶん僕以外のこの釣り台を使うヘラ師がエサをやっているのだろうと思う。エサを丸めて投げると用心深く寄って来てその大きな口でひと口で食べるようになった。

そしてある日、太郎、がひと回り小さな灰色がかった鯉と、また、さらにひと回り小さな鯉を二匹連れてきた。太郎、がエサを食べると二匹は安心して太郎、に従った。その姿を見ているとこの二匹は太郎の嫁さんであり、だから僕は灰色に「ブランカ」そして小さい方に「黒丸」と名付けた。

ブランカ。
・・・その名はまさにシートンのオオカミ王「ロボ」の妻、美しい白いメスオオカミ「ブランカ」であることは言うまでもない。
ところが昨年、太郎が目の前を通り過ぎていくのが見えた。
何だか様子がおかしい。ヨタヨタと僕を無視して通り過ぎていく。
よく見ると口に大きなワームフックが刺さっていてそのまま痛々しく僕の視界から消えていった。


何なんだッ!!

だんだん僕は腹が立ってきた。たぶんあの釣り台の上に立ったバスマンがライトリグ・ライトラインで台の下から出てきた太郎にワームを見せたのだろう。目の前でワームで誘われればひとたまりもない。バカヤローなのである。魚をナメるななのである。10ポンド以下のラインを使うななのである。「ブラック」はあっちへ行けなのである。

「太郎」はどうしているだろうか。今年も会うことができるのだろうか。
冬枯れの池の前でそう思う。



釣りは旅だと、つくづく思う。
いや、そうではなくて釣りそのものが旅なのか。


釣り紀行の名作、高崎武雄さんの「懐かしい釣り」(つり人社刊)を友人からいただいた。この本は川の釣り、海の釣りを紹介する形を通して美しい写真と文章で釣りの旅が謳い上げられていて、昔の日本の釣り人の品格の高さを思い知らされる。

この本の初版は昭和五十五年(1980年)
つい30年前。日本にはこの本に出てくるような大人の釣り人たちがたくさんいた。それなのにいまの釣り人の品格はどうしたものだろうか。これは自分も含めて大いに反省しなければならない気にさせられる。何とも自分が恥しい。


この本にはどうすれば釣れるか、どこへ行けば釣れるかなどのテクニックや釣り場の説明など一切がない。
あるのはその川の美しさや水の豊かさ、東京湾の釣りの奥深さ、釣りの豊饒さ、環境の素晴らしさへの賛歌であり、そこに棲む魚たちへの限りない愛情だ。
そこで高崎さんは釣りの釣り方や釣り人の釣り姿を誉め、釣り人の人間としての本質を、その中に見出そうとする。そこにはその釣り人を、釣り方を認め、共に釣りを楽しもう。という姿勢に貫かれている。


僕がはじめて高崎さんとお会いしたのは大学生になったばかりのときだった。場所は秋川国際マス釣り場。
夕方になる少し前、僕はそこで残りマスを釣っていた。

ハリスをヤマメ並みに細くして竿は新宿「竹堂」の二間半。マス対応に穂持ちを強くしてある。それは前の年、御殿場の鮎沢川で新調のヤマメ竿の穂持ちを一発でニジマスに折られ、一日釣りにならず苦い思いをしたことがあるからだ。そこで少し持ち重りがするが強めの五本継ぎのヤマメ竿。当時人気の出始めたニジマス対応の竿をバイト代を貯めて買い求めた。


その時だった。淡い西陽を背負うようにして、初老の品の良い釣師が川を釣り上がってきた。
「上へ行くけど良いか」
先行者に対する当然のマナーをまだ小僧の僕に言った。
「どうぞ」
と言った僕に対して「いい竿ですね」と僕の竿を誉め、「竿はやはり竹ですよ」と言い、「残りマスは面白い」と言い残して、その釣り人は足早に上流に釣り上がっていった。

高崎武雄さんだった。
釣り人としての圧倒的な存在感。大人の貫禄。風格。

たぶんいまの僕と同じぐらいの齢回りだったと思う。それに比べるといまの自分は、なのである・・・・・


(以下次号)

則 弘祐





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