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SAURUS > エッセイ > 則弘祐 > 懐かしい釣り、釣り人の品格
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ザウルス・スーパーバイザー
則 弘祐
ESSAY: Hirosuke Nori


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この「懐かしい釣り」に手長エビ釣りという章があって、昭和三十四年の東横水郷での釣りの写真が載っている。
蓮の中での延べ竿の並べ釣りで、この写真を見たとたん僕は、あまりの懐かしさにこのページより先に読み進むことができなくなってしまった。まさに釘付けである。


それはつまりこの写真のなかに十二歳のノリさんがいるからなのだ。
もちろん写真に僕は写ってはいないけれど、間違いなくその中に自分がいる。
この池は僕の自分自身で自分そのもの分身なのだ。僕はこの池と共に釣り人として成長していたと言ってもいい。






小学生のノリさんはまず、セルビン(キミは知っていますか?)でタナゴやクチボソを取って、それをエサに雷魚を釣ったり、手長エビでウナギを釣った。

この東横水郷という池は東急東横線を開通させるときにレールに敷く砂利を取った跡に出来たと聞く。そして水郷と言うくらいの広大な浅い池だった。たしか四面か五面あったように記憶している。いま東急水郷は等々力緑地公園として埋め立てられ一つの池だけが残されていてサッカー、ヴェルディのホームにもなっていたこともある。


その頃はどの池もすべて蓮やエビ藻、マツ藻、ヒシに覆われていて、だから水の透明度で水草の多い池にある独特なきれいな色をしていた。



小学生の僕は、休日になるとこの池に通った。
昔の子供は自転車など持っていないからすぐ歩いた。


それしか目的地に着く方法はない。目蒲線(現多摩川線)「うの木」の自宅から電車にも乗らずに多摩川大橋を渡り川崎側に歩いて通った。片道一時間半以上かかったと思う。当時、入漁料は確か50円。大金だ。だから監視が回るとすぐ逃げた。
昔の子供はすばしっこいのだ。


というか監視の人は子供は大目に見てくれていたような気がする。



ライギョ釣りはとはこうだ。
竿は竹の延べ竿。もちろんリールなどない。
ラインは黒い木綿糸。太目で白は食いが悪い。タコ糸は太すぎて釣れない。
ハリスはナイロン。これはメーター売りで売っていて、ハリもバラ売り。ハリが大きいとエサが死ぬ。エサが死ぬとライギョは食わない。このことを、子供ながらに考える。太めの袖バリだったように思う。


この仕掛けに大きめの玉浮木をつけて、藻の穴に向けてぶっ込んでおく。エサのタナゴやボソは生きのいいのにしょっちゅう替える。これも誰にも教わらずに子供ながら自然に覚えていく。



と、
玉浮木の向うに小さな泡が現れる。その泡がどんどん浮木に近づいてくる。
「ドキドキ・・・・・」
その泡が消えるとピクピクと玉浮木がダンスを始める。
エサがライギョの接近に怯えて暴れるからだ。つぎに少し間を置いて一気に浮木が消し込まれる。

12歳の子供が体全体を使い思い切り合わせる。するといきなり目の前で1メートル近いライギョが跳ぶ。水シブキを上げて黒い砲弾が跳ぶ。跳ばれて、走られて竿が立たない。竿と糸が一直線になり高鳴りがして木綿糸が切れる。ナイロンだったら切れないのに。でもナイロンは高くて買えない。


子供だけれどいっぱしの釣り師のつもりだから悔しい。涙が出てくる。ハナも出る。
たったひとり、誰もいない。誰も教えてくれない。
ワナワナと手が震える。ヒザもガクガクだ。


当り前だ。魚にとっては子供も大人も関係ない。相手が誰であろうと平等に手強いし、強い。容赦などはしない。
遠くで大人がヘラを釣っている。
その一連の所作が格好いい。オレもヘラ師になる。カッコイイヘラ師になる。十二歳のノリ君は心にそう誓ったのだった。


「懐かしい釣り」の最終章は、晴釣雨読。
そこにはこう書いてある。



昔の釣り人は「晴釣雨読」と言った。「晴耕雨読」の伝である。
天気の良い日には野釣りに出かけ、魚とともに遊び、雨の日は家に引きこもって書に親しむ、これが常識とされた。
しかし近年は「晴釣」どころか、雨釣、風釣、雪釣と、よほどの悪条件でない限り、出かけている。 昔でも雨がっぱや雨具は一応用意したが、これは途中で雨にあったときの用意で昨今は朝出がけから雨が降っていようと槍が降ろうと出かけていく。
・・・
私などは和竿(竹竿)を好んで使っているので、竿がかわいそうで、雨の中で竿を振る気になれない。





たぶん東京日本橋生れの高崎さんは、雨にうたれての釣りなどそれは「野暮」というものだ、そう言いたかったのかもしれない。
今年九十三歳になる高崎さんより少し年下の釣り師、僕の父親も、あまりハングリーな釣りをするな。それは釣り人としてみっともない。さらに原稿を書くなら十年やって一行書け!!いつもそう言っていたのを思い出す。

いったい釣り人の品格とは何だろう。
この本の一読を是非お勧めする。


また釣りの旅が始まる。
緑の水辺が僕を待っている。
緑の水辺・・・。
リリーパッドやウィードベッドにカバーされた静かなバスポンド。
鳥たちの声が響き、陽の光を受けてキラキラ流れる緑の川辺。
緑の水辺。
川の匂い。
海の音。

僕はどれだけこの言葉に救われたか。
立ち直れぬほど落ち込んだとき。自分ではどうしようもできない、世間の闇を見たとき。
やっと春が来た。
緑の水辺への旅がまた始まる。
さて、今年はどこから行くか。いつから行くか。

プラッガーたちへ。
大人の少年たちへ。

則 弘祐





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