学生時代、僕は月一回必ず銀座に出た。
彼女とデートだといいのだけれど、洋書を買うためである。目的の書店は“イエナ”や“マルゼン”などの洋書専門店で、買うのは知的な専門書ではなく釣りや猟やキャンプのアメリカの月刊誌「スポーツアフィールド」や「アウトドアライフ」。
その雑誌には美しい写真やイラスト、釣り具や猟具の広告。まさにロッド&ガン。釣りはルアーやフライが当然主流で残念ながら日本の釣り雑誌にはルアーやフライはまだ夜明け前である。そして帰りに必ず寄るのが京橋の『つるや 釣具店』。当時日本のルアー&フライの震源地だった。
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| ( アルバムの写真たち )
緑の水辺。輝くシャロー。上野島である。霧雨煙る満水の神の湖である。霧が晴れれば春ゼミが一斉に降るように鳴き出すだろう。生命に溢れた蝉時雨が始まるのだ。さぁ今日はどっちに行こうか。どんなミノーで攻めるか・・・。(撮影:相原元司) | |
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この高級釣具店は僕のような若僧には敷居が高くて入れる雰囲気ではない。欲しい物が買えない子供のようにショーウィンドウばかりを眺めていた。そしてある日、思い切って店内に入った。
「ジロリ」と店員が上目使いに僕を見た。
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| ( アムバサダーも僕と一緒に歳を経てきた。 ) 僕の手持ちのすべてのアムバサダーである。 最初のアムバサダーは6000C。在庫がなくてセカンドチョイスのものだった。 使い分けは、5000と5000Cが八郎潟などのフラットランドバスポンド用。5500Cがハイランドレザボァ用。6000Cと6500Cがサーモン、ビッグトラウト用。2500Cはサクラマス、アメマス用。大型の7000、9000、10000Cはソルト用。すべて現役。
アムバサダーは個性的である。たとえば、赤い5000は受軸がフローティングブッシングだから一台いち台、作られた年代によって回転や、キャストしたときのフィーリングが違う。巻き心地や音も違う。同じ赤でも色が違う。画一的ではない。味がある。それがいい。ボディーもブラスだからすぐに傷つく。大切に使いたくなる。それがまたいい。僕のようなアナログ人間にはたまらない。僕はコレクターではないから新品につけた傷、その傷の一つひとつに思い出と反省がある。こんなリールって他にあるだろうか。四十年以上かかった僕の宝物。こうなるともう、ビョーキだね。
箱付きの5000は名古屋のトップウォータープラッガー、金城真司君からのプレゼント。ガルシャがアムバサダーのアメリカでの代理店になった頃の貴重な一台。 その金城君も昨年ガンで死んだ。 おぃみんな、オレより先に死ぬなよな。
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それが店主の五十嵐さんだった。
店内はヘラや、アユや渓流。江戸前の海の竿などの和竿や趣味の小道具、それに英国ハーディー社のフライロッドやフライリール。すべてが高級品ばかりでその時の僕とは格が違った。さらにスウェーデンアブ社の日本代理店にもなっていて、アブロッドやスプーンやプラグがキラキラと眩しい。
その『つるや』に思い切って入ったのには理由があった。
アメリカの野外雑誌に出ていたリールの現物が『つるや』にあると聞いたからだ。そしてその黒く光るリールはショーケースにまさに鎮座していた。
「アムバサダー5000C」だった。カッコいい皮ケースもついている。
僕はこのリールを『つるや』には申し訳ないけれどアメリカの通販(カタログ)会社(セラー)“キャベラス”から取り寄せることに決めていた。その方が値段も安いしそして何よりも“ガルシア”のマークがその品質を保証しているように思えたからだった。
「このリールが俺のモノになる」
軽い興奮を覚えながら銀座のライオンで黒ビールの生を飲んで家に帰ったのを思い出す。
キャベラスにアムバサダーをオーダーして一ヶ月が過ぎた。それなのにまだ5000Cは来ない。気になって毎日が落ち付かない。
知っている人もいると思うけれどアブ社のハウスオーガンに「タイトライン」というカラーの小冊子があって、全編当然のようにアブ社のタックルを使った世界からの写真が載っている。
アトランティックサーモン、シートラウト、パイク。日本にはいない魚ばかりだ。その眩しい写真には必ずアムバサダーがある。世紀の傑作と言われるそのキャスティングリールがオレの物になる・・・・。
待ちに待った荷物が届いたと郵便局から知らせがあった。
受け取った郵便物にはアメリカの切手が何枚も貼ってある。その箱はボール紙の色からして違っていた。少し濃い茶色。アメリカの色だった。その箱からアメリカの新聞(当たり前)に包まれて黒い箱が現われた。その黒い箱にはアムバサダーと金色の文字で書いてある。それは僕にとってまさにスウェーデンからの大使(アムバサダー)そのものだった。
とうとうこのリールが自分の物になった、という実感。そしてそのことを確認するように箱から出してまずリールのニオイをかいだ。クラッチを切ったり入れたりをくり返す。リールの回る音を聴く。その晩僕は枕元にこの夢のリールを置いて寝た。
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| ( NORRIS CAST )釣りに持っていきたい一枚のCD、No2。ダイアナ・クラール 「クワイエットナイツ」。 昨年、クリス・コナーの訃報を新聞で知った。クリス・コナーはかつて“ケントンガールズ”(古いなぁ)と呼ばれたスタン・ケントン楽団出身の女性たち、アニタ・オディ、ジューン・クリスティー、そしてクリス・コナーが代表格だった。共に白人である。クリスはセクシーでハスキーな感情を抑えた発声法とクールなフレージングを先輩白人シンガーから受け継いでいた。 で、ダイアナ・クラールである。
ダイアナも金髪の白人シンガーである。そしてあのケントンガールズと同じハスキーヴォイスである。個人的な見解だけど白人で金髪の女性は声が低い人が多い気がする。なぜだろうか。 ダイアナはピアノの弾き語りもする本格的美人ジャズシンガーなのだが、前作のホエン・アイ・ルック・イン・ユア・アイズではジャズのジャンルを超えてミリオンヒットを作った。ことにアレンジャー「いそしぎ」の作曲者ジョニー・マンデルは見事な仕事をしていてヴォーカルの場合アレンジがいかに大切かを思い知らされる。
今回のアレンジャーはクラウス・オガーマン。引退していた彼がダイアナのために書いたというストーリーつきである。 このCDの秀れたところはすべてジョビンの名曲やポップスやジャズのスタンダードのスローなボサと4ビートである。気が付くとトラックは最初に戻っていてリピートも気にならない。そのエンドレスのハッピー感はプロデューサーのトミー・リビューマンとダイアナの狙い通りなのだろう。全曲ハッピーな気持ちに包まれる。前作のミリオンヒットもうなずける。 事実、ダイアナ自身も英国のロック歌手、エルビス・コステロとの間に双子が生まれて幸せの絶頂期にいるのだろう。何ともやさしい。分けてあげたいこの幸せ・・・。幸せな女性には説得力がある。かなわない。 さて、また辛くて苦しい、サクラマス釣りが始まった。車の外は零下の河原か道の駅か。そんな車にキミは車中泊をしているとする。 今日もマスは追いすらなかった。せめて、サクラマスのジャンプでも見たい。キミはそう思っている。そんな車の中、ダイアナがやさしく、シートの横でキミに歌いかけてくる。聴くうちに、なんだか車のシートではなくキミの部屋のベッドの横でダイアナが歌っているような気がしてくる。 あしたはきっと釣れるぞ。 |
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このリールを手に入れた頃と前後して、神奈川県の早戸川にマス釣り場が出来た。
「早戸川国際マス釣り場」である。以前にもマス釣り場はあったのだが、ここがすごく人気が出たのは匹数制限がなかったことにある。何匹釣っても無制限。そして自然の川の流れを生かしたレイアウト。それが釣り人の釣趣を誘った。
早戸川は僕にとって都心から行ける貴重なヤマメの川だった。高校生の僕はJR橋本駅から三日木までバスで行き、山仕事のトラックにのせてもらって上流を目指した。早戸川のヤマメは道志川と並んで屈指の美しさだった。もちろん餌釣りである。
早戸川はだから馴染見の川だったのである。
そこに僕はメップスのスピナーを持ち込んだ。
アグリア、アグリアロング、ブラックフューリー、メップスミノー。
その3gのスピナーを僕はアムバサダーで投げた。ロッドはファントム。アメリカ製ソリッドのグラスロッド。5-1/2フィート。
そのスピナーを残りマスは面白いように追った。クーラーがすぐ一杯になった。持ち帰るのが大変だった。当時ニジマスは貴重だったから皆に喜ばれた。
「引掛け釣り禁止」と言われて、管理人の前で追わせて食わせ、スレ釣りではないことを証明したりもした。スピナーの釣り、それはその頃アメリカの兵隊以外、日本ではほとんどやらない釣り方だった。それでも早戸川が立派なのはルアー釣りを禁止にしなかったことだ。余裕だったのだろう。この釣り場は圧倒的な人気で釣り人が押しかけることになる。
芦ノ湖。銀山湖。バス釣りにトラウト。僕はこのリールだけで釣るようになっていた。
中禅寺湖もそうだった。
釣り雑誌にも銀山湖の大イワナに続いて知られるようになっていて、友人の先輩と銀山湖の帰りに寄ったのが最初だった。何も釣れなかった。
それなのに車のない僕はひとりで電車に乗り中禅寺湖に通うようになる。大学生になったときだったと思う。バスを降り道具を背負って立木観音から歩いた。阿世潟にアメリカで発売されたばかりのユーレカ社のティンバーラインという名のテントを張るつもりだ。だから釣りに集中するためにキャンプサイトに早足に歩く。
中禅寺湖はミステリアスな湖である。
釣りをしていると湖から湧き上がるような、また空から舞い降りるような深い霧に巻かれる。
どっちが沖でどっちが岸なのか。まるで見えなくなる。右か左か、位置関係が分からなくなる。
そのうち天はどちらで、どちらが地なのか。重力を感じる力が麻痺してくる。立っているのか逆立ちしているのか。いやそうではなくて浮いているのか・・・・・。神秘的でそれでいて気持ちがいい。冷気に心が透明になっていく。神の山のせいなのか。
そして霧の切れ目から日の光が差すと、それはまるで光が筋になってなんだか神や仏が降臨してくるような錯覚さえしてくる。
「ブラウン!!」
その言葉の響きは新鮮だった。
日本には当時山梨の忍野と中禅寺にしかいない。
しかも中禅寺のブラウンは朱点の鮮やかなジャーマンブラウンだと言う。シューベルトの「鱒」バッハフォレレと同じだと水産マニアの友人が言った。夢がどんどん膨らんでいく。さらにアムバサダーでそのブラウンを釣る自分が、そのイメージが、何だか現実味を帯びてきた。
ブラウンを釣りたい。その思いこそが中禅寺通いの原動力だった。
釣れずの中禅寺が続く。
ミノーを投げ続ける。
ブラウンはどこにいるのか。ブラウンのポイントは浅場か、深場か。ブラウンについての情報など何もない。それまでの知識をフル動員して釣るのだけれど釣れない。
どうせトラウトの仲間なのだからニジマスやイワナと変わらないはずだ。ヤケになって投げるけど釣れない。「スプーンを使えばカンタンだよ」ともう一人の自分が言うのだけれど意地になっている。「プラッガーのプライドだ!」なんてね。
そのうち、ブラウンを釣りたいためだけにこの湖に通っているのか。釣りだけなのか。
そんな気持ちが自然にわいてきた。やっとミステリアスな中禅寺湖の魅力に気が付きはじめたのだった。
それはこの湖だけの青い水。空気そしてその薫り、美しさ。この湖はトラウトレイクとしてだけでなく、その存在そのものが絶対だった。だからこの湖ではたとえ釣れなくても、釣りをするだけ、この場所にいるだけでいい、と思えるようになっていく。まさにこの湖の魅力に取り憑かれていった。そのことは阿世潟でひとりでキャンプをすることが普通になって、よりこの湖と一体となっていった。後に芦沢一洋さんと知り合ってパックパッキングの影響を受けていくのだけれど、その前から僕はキャンプが大好きだった。テントのなかで、寝袋に入って大地の声を直接耳元で聞く。とくに春先は植物たちの命の予兆を感じることができた。
キミは樹が芽吹く音を聞いたことがありますか?
キャンプをすると、何かが心の深いところから誘っているのが分かる。
そうなのだ。もしかすると僕は前世、アメリカの先住民ではないけれど、遊牧民か狩猟民族のひとりだったに違いない。きっとそうだと思う。
今日も雨が降っている。
白々と神の湖の夜が明ける。
太陽が昇るまでの、湖の底にいるような静寂。
テントのなかでもうとっくに目覚めている。
テントのなかはジットリと湿っていて、起きて釣りの用意をするのを逡巡する。
今日も釣れないのか。えぃと起きた。
阿世潟はこの湖のポイントの核心部にある。
左へ行けば上野島、松ヶ崎。右は八丁出島、小寺ヶ先。
さて、どっちへ行くか。いつも迷う。
でもその日はほとんど無意識に左、上野島方向を目指した。
絹のような雨が降り続いている。六月というのに寒い。案の定、霧が出てきた。物音ひとつしない。静かだが切れ目なく波が岸辺を洗う。
霧のむこうに上野島が見えてきた。まるで何人もの僧侶が座禅を組んでいるように見える。
深い霧が降りてくると、ここは浄土なのか、極楽なのか。いったいオレはどこにいるんだ。とてもこの世とは思えない。ともすれば萎えてしまう気持ちをアムバサダーのクラッチを切る音とスプリングの戻る音だけが現実に引き戻す。釣りへの本能を昂ぶらせてくれる。
ここ上野島の広いシャローから続くカケアガリはこの湖の最深部へと続いている。だからこの場所はブラウンの予感充分だ。
レベルミノー。タイガー。マーベリック。そしてフラットフィッシュに似たドイツ製ダム社のプラグに替えた。
大日崎を過ぎ松ヶ崎の付け根に来た。
沖に向けて倒木がある。気味が悪いほど透明度が高いからその太い倒木が底へと続いているのが分かる。
その倒木に沿ってダム社のプラグを投げた。
アムバサダーのスプールが回転するのが心地いい。ロッドのチップを下にしてストップ&ゴーをくり返した。
「ん?!」
木の蔭から何か見えた気がした。
「ゴン」
何かが食った。またアイソ(ウグイ)か。
クネクネとラインを体に巻きつけている。この湖ですでに何本か釣っている大きなウグイか?その時、赤いスポットが目に入った。
ブラウンだった。50センチ弱。
「何だイワナと同じだ」そう思った。
茶マス。チャーリーがそう言うように淡いコーヒー色をした初めてのマスが朱点鮮やかに静かに波の打ち寄せる足元に横たわっている。
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| ( アルバムの写真たち )田中仁と彼の持ち舟「キングフィッシャー」号。 この舟で僕たちはベストシーズン、ベストポイントを取り憑かれたように釣りをした。 僕のトラウトプラッギングの原点。そして出発点。 ボートからの釣りがメインになって軽いフローティングミノーが中心になると必然的にリールはスピニングになった。ガルシャミッチェル308・408。ロッドハーディー、フィリプソン7フィート。ラインストレーン4~6ポンド。もちろんダブルラインの知識などないから直結。もう三十五年以上前になるだろうか。それにしても仁もオレも若いなぁ。 |
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この湖に毎週のように通うようになって、監視の男たちと親しくなった。この年、漁協が初めて職員として採用した高校を卒業したばかりのふたり、福田豊、田中仁両君だった。一浪して大学生になった僕と歳はたいして違わない。
彼らと仲良くなって図々しい僕は、彼らの漁協の部屋に泊めってもらうようになった。そうなると釣りの行動半径がまるで変わって来た。ポイント移動は彼らの車になったし、とくに、田中君の持ち舟「キングフィッシャー」でエレクトリックモーターを使った理想のトラウトプラッギングが可能になった。時間は大学生だから充分にあった。授業をサボって五~六月はほとんどこの湖にいた。そして僕はトラウトプラッガーとしての自信をどんどん深めていく。バスの雄蛇ヶ池と同じだね。
「ブラウン退治」
この言葉を専務理事の田中 喜四郎さんから聞いた。解禁前の2月にヒメマスを食害するブラウンを湖全域で駆除するのだという。
「ノリさんやりますか」
当たり前です。やります。
解禁前の中禅寺湖は水温五度以下。もちろんこの時期シャローにはブラウンはいない。となればミノーは無理だ。当時今のような良いシンキングミノーはない。ラパラはあったけれど高価だったし手に入らない。岸釣りで急深の場所。そうなれば距離の出るスプーン。その選択は自然だった。
低温時のスプーンはデッドスローに底を舐めるように引く必要がある。使うスプーンはトビーやオークラ。底を舐めるように引くわけだからスプーンの消耗は激しい。それに耐えて釣る。耐えて釣るためにはダイレクトに当たりが分る、底の状態が手に取るように分る両軸リールは絶対だった。アムバサダーの真骨頂発揮である。
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| ( アルバムの写真たち )初秋の阿世潟キャンプサイトである。
初代デリバン。コールマンのアウティンググッズ。ウッズ社のキャンバステント。当時の僕のスタンダードスタイルだ。 デリバンは強制空冷リアエンジンだからプロペラシャフトがない。その分荷物室が広い。キャンプや釣りの充分な道具が積めた。
トラウトプラッギングはバスのトップウォーターと同じで、日中の釣りはきびしい。だから本を読むとかシチューを煮込むとか酒を飲むとか木漏れ日のなか好きな時間を過ごす。それがまたいい。 この時代、阿世潟キャンプ場まで車で入ることができた。 |
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それでブラウンは駆除できたのか?と、聞かれると困るのだけれど、ブラウンはよく釣れた。多分、一生分のブラウンを釣ったのではないか。スプーンも当時高価だったから親父の知り合いの工場に頼んでプレスしてもらった。オークラよりも薄く細長い。名付けて“ノリクラ”。原価は百円もしない。これで思う存分スプーンが引けた。
けれど暗い湖の底から身をよじらせて上がってくる魚は、白い精子や卵をポロポロ出しながら苦しそうに上ってきた。それを見ると釣れることは楽しいけれど気分は晴れない。
やはり食うのが見える。
緑の水辺。輝くシャロー。スプーンのテクニックを身に付けるに従い、逆にプラッギングへの思いは強くなっていった。スプーンをマスターしたことが、ラパラよりよく飛びさらに切れの良いローリングのミノーが欲しい。それがブラウニー開発の引き金になっていった。
この“ブラウン退治”以後、僕はほとんどスプーンを使わなくなった。と言うより、そもそも僕はプラグが好きなのですね。
プラグの釣り。とくに田中仁君と親しくなって、朝夕ボートからのプラグゲームに没頭していく。ブラウン、ニジ、イワナ、レイク。いつも仁と一緒だった。家族や友人たちと一緒の夏キャンプもいつも仁がいた。
その田中仁が二年前、いきなり脳溢血で死んだ。中禅寺湖の思い出のすべてを共有した男が死んでしまった。
去年の夏だった。
僕はザウルスの工場のシンボルツリー、メタセコイヤの下のベンチでポーッとしているのが好きだ。その晩もベンチに座って夜空を見ていた。
その時だった。突然、奇跡のように目の前に一匹のホタルが飛んだ。ホタルがいるはずがない。工場は丘の上にある。近くに川や池などもない。
咄嗟に、
「ヒトシだ!」と思った。
ホタルは僕の肩に止まり、それから太いメタセコイヤの幹に沿って上っていってそして消えた。
間違いなくヒトシだった。僕は動けなかった。
そして僕はヒトシが死んで初めて大声で泣いた。
アムバサダーを手にしたはじめてのいちにち。
ブラウントラウトを釣ったはじめてのいちにち。
霧のなか田中仁とはじめて会ったいちにち。
A DAY IN THE LIFE
則 弘祐