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SAURUS > エッセイ > 山田周治 > 外来生物法が気に入らなくて、僕はバス釣りに復帰
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Tokyo Rod & Gun Club
山田 周治
ESSAY: Shuji Yamada


ESSAY TITLE



いうまでもないことなのだけれど、僕は35年前則弘祐と出会って、トップウォーターのバス釣りの特訓を受けて、以来ずっとトップウォーターのバス釣り一筋。 というと格好がいいのだけれど、じつをいうとここしばらくは、あまり釣りをやってなかったというのが本音。



ところが、このところのバス害魚論の、妙な盛り上がり。ついには国が『特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律』などという法律で、さらには県が条例で、バス釣りをがんじがらめに規制して、バスを日本から駆逐しようということになってしまった。このいきさつと中身が、どうも僕には納得が行かない。
バスが入ったから、今までその池や湖にいた小魚達や水生昆虫は全部食われてしまう? 日本中の池や湖から在来の生物は絶滅してしまう? キャッチ&リリース絶対禁止? バスを釣ったら必ず殺せ? 日本中のバスを駆逐せよ?
じゃあ、なにかい? 80年以上前赤星鉄馬さんが入れたバスを入れた後、芦ノ湖の魚はみんな食われていなくなったかい? バスが入っていない日本中のホソや池で、小魚や水生昆虫がいなくなったのは、どういうわけなんだい? ほら、きちんと説明してごらんな。
なんだい、なんだい。

……なんて。根があまり冷静にできていないものだから、つい血が騒いで、「よし、もういちどバス釣りをやってやろうじゃないか」、とばかり、バス釣り復帰を若い仲間(といっても40歳になるのかな?)に宣言した。
というわけで、70歳になってから、若いのと一緒に近くの釣り場へ出かけていきます。
いやあ、やっぱり水の上は気持ちがいいですねえ。
もういい年にはなっているし、久しぶりのキャスティングだし、バックラッシュの連発じゃないかと心配していたのだけれど、体ってのは大したもんだ。ちゃんと感覚を覚えていた。
まあ、正直、最初のうちは距離感がうまく掴めなくて、岸からいささか離れていたけれど、1日目の夕方ぐらいには、ドンピシャ、とはいかないまでも、「ナイスキャスト」といえるぎりぎりの許容範囲には、入れられるようになったかな?

釣果は?
はっきりいって、よくない。
ガボッと水音が立って、プラグが消える。なんて、あのドキンとする瞬間は、1日中やってたって数回もない。 それはしょうがないよね。ちゃんとスポットにキャストできていなんだもの。 でも、それがやる気を起こさせてくれるんですよ。この気持ちの動きってのは、30年前と変わりゃしません。
このごろは、ほとんど水の上に出ていないかもしれない30年前のバス少年達。
ちょうど季節もぴったりになってきたことだし、とにかく一度、プラグを投げに出かけてみよう。きっと僕と同じように、こんなに楽しい釣りを、禁止されてなるものかって気に、なると思うんだよ。
トップウォーターバス釣りの原点の報告を、まあ、ご覧になってください。

ところで。しまいこんであった道具を出していたら、なんと懐かしい雑誌が出てきたのです。パラパラっとページを繰ってみたら、則弘祐と僕が書いた、トップウォーターバス釣りの記事が載っていたんですね。覚えていてくれた方もいらっしゃるかもしれない。そう。あの「フィッシング」1977年10月号です。 僕達がトップウォーターバス釣り(あのころは「サーフェスプラグのバスゲーム」なんて呼んでたんだ)のことを、本気で報告した最初だったかもしれない。この報告に誘われて、トップウォーターバス釣りを始めた人もいらっしゃるかもしれない。 恥ずかしさを隠して、臆面もなくいってしまうと、われながらうれしくなるくらい、熱っぽく書いてます。いってみれば、バス釣りの楽しさの原点が、ここにはあふれてる。
読み返しているうちに、全文をもう一度皆さんに読んでいただきたくなってきました。
いっぺんに掲載できないから、シリーズにして載せていこうと思います。まあ、28年前を思い起こしながら、読んでみてください。





サーフェスプラグで挑むバスゲーム[01]
サーフェスプラグの魅力はどこに?

スピナーベイトやプラスチックワームは、去年からことし、あれだけ店頭に並んでいたのだから、当然のことなのだろう。むろん、それぞれに立派なルアーだから、それなりに、十分、ゲームはできたと思う。
確かにこのところアメリカでは、この手のルアーがもてはやされている。バスプロショップのカタログは、ことしも、この手のルアーの、オンパレードだった。去年にましてそうだった。

なぜか。
理由は、二つある、と思うのだ。
ひとつは、よくいわれる、バスプロたちの数取り競争。かれらはバスを釣ることを職業にして、生活を立てている。数を競うトーナメントに勝って、賞金を得なければならない。スポンサーのために、タックルやギアを、その成績で、宣伝できなきゃならない。 となれば。ゲームの楽しさ、なんて贅沢はいえない。とにかくせっせと、効率よく釣らなきゃならない。当然、強いロッドがいい。丈夫なラインがいい。そしてなによりも、効くルアーがほしい。

そこで、もうひとつの理由が、浮かび上がってくる。アメリカのバスポンドの環境だ。
日本のバスポンドは、そのほとんどが人造湖だ、といってよいだろう。おたがい知ってのとおり、急な駆け上がりを持った、水深の深い、山あいの湖、と相場が決まっている。
アメリカの場合も、人造湖のバスポンドが圧倒的に増えているという。ただ、その湖の姿が、決定的に違うものが多い。 まず深さが違う。最深部で7~10メートル、だという。それが、果てなく広がっているのだ。日本でいえば、その辺にある、溜池。あれを途方もなく大きくして、水をきれいにしたもの、と想像すれば、いいのじゃないだろうか。
つまり、平野がそのまま湖になったのだ。
もちろん人造湖だから、雑木や、あるいはその切り株などは、そのまま水の中に沈んでいる。朝市ころでは、立ち枯れた梢や枝が水面から顔を出している。日本のバスポンドでは、それは岸辺だけなのだが、こちらは湖中がそうなっている。だから、湖中が、バスの生息の、好適地なのだ。

もういうまでもないことだが。スピナーベイトやプラスチックワームは、こんな環境で生活しているバスを、最も効率よく釣るために、考え出されたルアーなのだ。 で、バスプロたちは、スピナーベイトを使う。プラスチックワームを使う。せっせと釣る。ストリンガーを鈴なりにする。それを両手に持ち上げて、ニッコリ笑う。 写真が撮られる。広告に使われる。
だれだって、釣れないよりは、釣れたほうがいい。その事実の魅力には勝てない。


もの真似でない判断を

こう考えてきて、おたがい勉強になることが、いくつか発見できるのじゃないだろうか。 たとえば。バスポンドの環境の違いが、バスの生活範囲を支えている、ということ。あるいは生活スタイルも、変わっているかもしれない。とすると、向うのバスポンドではとても有効なルアーが、こちらではそれほどでもない、ということも出てくる。少なくとも、使い方は違ってくるかもしれない。 だから、それぞれのルアーが、アメリカのバスポンドでどう使われているか、それをただ真似するのではなく。なぜかれらは、そういう使い方をするのか、なぜそれがいいのか、を、よく見極めることが、まず必要なのじゃないか。つまり、それぞれのルアーの特性、本質、そのルアーが創り出された意味を、はっきり掴むということだ。

同時に。自分の行くバスポンドの状況も、研究しなければならない。
それぞれのスポットの環境は、どうか。季節によってどう変わるか。増水すると、どうなるか。バスの生活範囲は、どこまでか。生活スタイルは、どうなっているか。 そのときのスポットの状態に、ほんとうに適した、効くルアーを選び、確信を持ってその動きを演出するには、この追求しかない、よいってよいのではないだろうか。 それから。これも、いえるのじゃないだろうか。
バスプロたちの活躍が華々しくなってから、新しく創り出されたルアーは、いったいに効率のよいものが多い、ということ。 だから、たしかに、使い方さえ間違っていなければ、バスを誘い出し、釣る力は、たいへんに強い。そのかわり、どうもゲームとしてのフィッシングを楽しむという要素は、犠牲にされている、と思うのだ。(と、いっても、ゲームの楽しみどこに求めるか、で、この見方は変わってくるのだが。)

ここで、ゲームとしてのバスフィッシングに対する価値観、つまり、楽しみの求め方が、問題になってくる。
ゲームの結果に、楽しみのウエイトを置くか?ゲームのプロセスの中に、楽しみを求めるか?ゲームの相手は、仲間だと考えているか?魚自身だと考えているか? どちらが上だとか下だとかの問題ではないし、むろん、どちらが正しいとか、間違っているとかの問題でもない。 だいたい、おたがい、フィッシングを楽しみのためにやっているのだから、どちらがいいの悪いのと、口角泡を飛ばして論争しあったり、あげくのはてに、仇同士のように睨みあったり、する性質のものじゃありはしない。
第一、『釣る』ことをゲームとしているのだから、釣れないよりは釣れたほうが、いいに決まっている。小さなバスよりは、ブロンズバックの、ポットベリーな奴が釣れたほうが、気持ちがいい。仲間と一緒に出かけて、仲間が釣れて自分がボウズのときなどは、ちょっとばかり仲間が寝ねたましいし、その逆のときは、なにか少し、誇らしい気分になったりする。
あなたもそうだったと思うのだが、ゲームを知りはじめた最初のうちは、特にこのような嬉しさ哀しさが、大きかったものだ。だが、何年やろうと何十年やろうと、小さくなりはしても、この心の動きは、なくなるものではない。俺にはない、と、真実いいきれる人がいるとしたら、もしかするとその人は、フィッシングというゲームをまったく楽しんでいないのじゃないだろうか。

話が妙なところにそれてしまったが、つまり楽しみをどこに求めようと、それは自由だ、といいたかったわけなのだ。
ただ、結果に楽しみのウエイトを置くという場合に、往々にしてちょっとつらい現象が起こりがちなのは、否めない。
結果の楽しみ、つまり、どれだけ大きいのが釣れたか。何匹釣れたか。ということになると、ゲームの相手は仲間であり、競い合うことが、ゲームの中核になってくる。
勝った、負けた、の決着は、事実によって決めなきゃ、つかめない。証拠が、何よりモノをいう。するというと、釣れた魚をストリンガーにかけて、散々引きずり回してしまうことになる。
ま、最後にリリースすればいい、とはいえるのだが、しかし、生きていてくれればいい。引きずり回しているうちに死んでしまうかもいしれない。あるいは弱りきってしまっていて、そのときはかろうじて生きていても、放されたあとで、死んでしまうかもしれない。

これはお願いなのだが、もしあなたが結果を楽しむ派であって、ストリンガーを活用しているフィッシャーだとしたら、バスがまだ元気なうちに、仲間に証拠を見せてやって、リリースしてほしい。
なるべくなら、釣り上げたその場で、写真で記録をとって、すぐリリースしてほしい。 最近は、ほら、ピッカリなんとやらを代表に、ストロボを内蔵した手頃なカメラが、いろいろ出ているじゃありませんか。あれなど、じつにバスゲーム向きだし、値段だって、輸入物のロッド1本分ぐらいのもの。


中身の濃いプロセスの追求

さて私たちは、さっきの分け方でいえば、もちろん、プロセスを楽しむ派に、属している。
だから、ゲームの相手は、バスという魚自身だ。
だから、ひたすら、サーフェスプラグによるゲームに、浸りきる。 ことわっておくが、プロセスを楽しむ、といったって、なにも、特別なことをやるわけではもちろんない。 これは、と思うスポットに、狙いをつける。
スポットにマッチしたルアーを選ぶ。
キャストする。
ルアーを演出し、相手をトリックにかけて誘い出し、刺激し、とびかからせる。
がっしりとハリにかける。
ハリを外そうと、知能と体力のすべてを尽くしてくる相手を、決して逃がさず、じっくり引き寄せ、手にする。
傷をつけないようにハリを外し、健闘をたたえ、リリースする。
このひとつひとつを、大切にし、密度を濃くし、ぞんぶんに楽しみ、味わう。
こんな、しごく欲張った、ゲームの楽しみ方なのだ、といってよいだろう。

で、サーフェスプラグとなる。
こいつは、もうじつに、プロセスのすべてにわたって、中身の濃い楽しみを、与えてくれるのだ。
まず、スポットを見きわめる、楽しみ。 ごぞんじのとおり、サーフェスプラグは、ほかのルアーのように、水の中をバスのそばに近づいて誘いかけることは、まったくできない。演技の舞台は、水面だけ、という厳しい約束事を持っている。(なんとも不自由な奴だし、釣れる釣れないでいえば、決して効率はよくない。そして、ここにこそ、こいつの強烈な魅力の原点が、あるのだが)
だから、ほかのルアーのとき程度のスポットの捉え方では、到底、バスは誘い出せない。 あのブッシュの下の、直径1メートル。あの石の右陰、50センチ以内。たとえていえば、こんな感じで、スポットを捉えていく。この緊張感が、たまらなく、いい。

そして、次は、プラグの選定だ。
スポットの状況を見きわめる。季節を考える。水温を考える。時刻を考える。そこにいるであろうバスの、行動心理を推測する。 ノイジーやスイッシャーではない、と決める。では、ライブリーがいいか、クワイエットがいいか、あるいはクランクベイトか。すばやく計算し、取り出し、ラインに結びつける。
この瞬間の、不安と期待にみちた、たのしみ。これが、また、いい。

いよいよ、キャスト。
さっき見きわめた、直径1メートル、あるいは50センチのスポットの、さらにここぞと思う一点に、正確に入れなくては、ならない。おおかたの場合、許される誤差は、30センチとないだろう。そこに、狙いあやまたず入れられかどうかは、技術の問題だ。 思いどおり、狙いどおりの一点に、ポトンと着水させることができた一瞬の、わき上がる快感と、自信。まさにこれは、磨き上げ、鍛えぬいた技術の勝利、以外のなにものでもないのだ。
リトリーブ、つまり、演出。
プラグそれぞれの性格に合わせ、バスが跳び出さずにはいられない、トリッキーな、刺激的な演技を、ロッドアクションとリトリービングによって、ラインを通して、正確に伝える。
この上なく細心な注意と集中力と、技術と、忍耐が要求される。
バスは、いつ跳びかかってくるか、わからない。
突然、爆発的に盛り上がるクライマックスを控えた、スリルとサスペンスに溢れたプロセスだ。

そして、ストライクが、ある。
ゲームのクライマックスは、急に、やってくる。プラグの誘いに乗ったバスが、刺激に耐え切れなくなって、水面を割って跳び出す。プラグに襲いかかる。烈しいしぶきが上がる。
水の割れる音が、あたりに響く。心臓が、ドキンとする。夕陽の中に、ブロンズバックが、にぶく光る。反転して、消える。瞬間、たとえようもなく強い引きが、グッと手元にかかる。
時には、水面が、ただムクっと盛り上がるだけのこともある。と、次の瞬間、思いもかけない強烈な引きが、ロッドを持ち込む。 心臓に与える影響は、どちらのストライクのほうが、より大きいだろうか。

バスは、横に走る。突進する。引き込む。浮上する。ジャンプする。えらを洗う。テイルウォークする。驚愕と恐怖に打ち克って、知恵の限り、力の限りを尽くして、ハリを外そうと闘う。ロッドがしなう。ラインが走る。ドラッグが鳴る。だからといって、ロッドチップを水面に突っ込んで、魚のファイトをおさえ込んでしまってはならない。
ロッドを立て、のされるのを防ぎつつ、彼のファイトを賞讃し、堪能し、じっくりと疲れるのを待つ。




もうお分かりいただけた、と思う。いやあるいは、この夏、あなたはもうすでに、この楽しみを、ぞんぶんに味わっているのかもしれない。
戦略。策謀。技術。困難への挑戦。忍耐。期待。不安。疑惑。突然の豊饒。衝撃。恍惚。知恵と知恵の闘い。力の格闘。
サーフェスプラグのバスゲームは、プロセスを楽しむゲームフィッシングの極致だといって、過言ではないだろう。


……と、まあ、ここまでは総論。ここから先の各論は、またこの次のお楽しみに。(していただけると嬉しいな。)


山田 周治







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