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SAURUS > エッセイ > 山田周治 > 「魔魚」という文字を眺めていたら、マスコミへのお願いになってしまった
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Tokyo Rod & Gun Club
山田 周治
ESSAY: Shuji Yamada


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バスという魚は、いうまでもなく肉食魚です。生きてゆくために、小魚であろうとえび類であろうと、昆虫類であろうと、捕食する。しかも、バスが入ってくるまで、日本のほとんどのフレッシュウォーターには、このような大型の肉食魚が存在しなかったのだから、在来の生き物たちはこの外来の天敵に対して、対処する知恵を持たない。生態系にインパクトを与えているのは、確かだといっていいでしょう。


しかし、だからといって、「バスは日本中の在来魚を食い尽くす魔魚だ」と決め付けるのはどうもねえ。




事実をきちんと追求することもしないで、ヒステリックに騒ぎ立てるのは、ハッキリ言うけれど、正しくない。
日本人の生き物評価軸には、根底に「可愛い」「優しい」を最上位とするところがある。
この評価軸で、生き物のすべてを「いい、悪い」に色分けしようとする。


だから、「草食イコール優しい、可愛い=善」、「肉食イコール獰猛、恐ろしい=悪」という情緒の方程式が、心の底にがっしり根を張っていて、すべてこれで受け止めて反応する。


「バス魔魚論」は、紛れもなくこの方程式を利用しぬいた論法だといっていい。
中世ヨーロッパの魔女騒動に例をとるまでもなく、「魔」という言葉は、ある対象者なり対象物なりを抹殺しようと目論んで、人々の心に不安を陥れ、非難の世論を盛り上げ、集団による排斥の暴動に駆り立てることを意図した人間が、駆使するボキャブラリーなのですね。
それをまた、きちんと検証することもしないで、いかにも正義の味方でござい、という顔をして書きたてたマスコミは、ジャーナリズムとしての態をなしていない。


・・・と、憤るのはこちらが無知というものかもしれない。マスコミというのは、人々の情緒に付け入って、煽り立てて売上を伸ばすのが、本質の一つの側面なのかもしれないのだから。


ただ、これだけははっきりさせなければ話が進まない、ということがいくつかあると思うのです。
たとえば、メダカやフナやモロコやタナゴがいなくなった問題。
バスやブルーギルが入っている池や湖では、原因はバスやブルーギルが食べてしまったからだという。では、バスやブルーギルが入っていない池や湖で、メダカやフナやモロコやタナゴがいなくなっている原因については、どうするのか。
人間が排水で水質を汚染したり、葦原を埋め立てて浄化の仕組みを破壊したりして、魚達が生きていけなくなったのは、構わないのか。人間が自分たちの都合で水位を下げて、魚達の産卵場であり生活の場である浅場を干上げて、魚達を滅亡に追い込んでしまったことは、構わないのか。小魚たちが池や湖と往き来をしながら生活をしていた田圃の間の水路を、全部コンクリートの3面張りにしてしまって、生き物がいっさい棲めないようにしてしまったのは、構わないのか。
人間の生活のためなら、生産のためなら、経済のためなら、何をやっても構わないのか。生物多様性の保全というのは、人間が経済生活のためにやってしまったことや、やるであろうことは、構わないのか。

いや正直なところ、この問題については、多かれ少なかれ僕ら日本に住む一人一人がみんな共犯者なのだから、偉そうに評論家ぶった口をきくことはできませんよね。


それを承知で、マスコミに注文をつけたいのは、面白がって問題の表面だけをなでるだけでなく、もう少し深くつっこんで考えるきっかけを提供してもらいたい、という、ただそれだけのこと。

問題の本質、原因と結果の関係を、きちんと把握して、どうしたらいいかを詰めて、目標を決めて、計画を立てて、実行していく。こんな、ごく当たり前のことなのだけれど、これを進めていくためには、マスコミの情報で意識を喚起してもらうことが絶対にいるのです。

その情報に呼応して、僕ら市民が声を上げていく。その声が強大になれば、環境省も、国土交通省も、農林水産省も、総務省も、厚生労働省も、法務省も、あれれ?そうか、行政官庁がみんな絡んでいるんだね、重い腰を上げざるを得なくなるのではないだろうか。

・・・というのは、楽観に過ぎるでしょうか?


山田 周治






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