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SAURUS > エッセイ > 則弘祐 > 30年前のバスつりの少年たちへ (2)
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ザウルス・スーパーバイザー
則 弘祐
ESSAY: Hirosuke Nori


第1話 | 第2話 | 第3話
ESSAY TITLE



 「有名人病にならないように」
 「・・・・・」


彼の言っている意味が判らない。
そこは総武線と中央線が高架で走るJR新大久保駅そばの酒場にいるときだった。

 「釣りは、あってもなくても、社会には貢献しない」

とも言った。



いくら釣りが上手でもたかが遊びだ。社会の役には立たない。その事をよく思い知れ・・・・。
たしかに、当時はブラックバス=則、みたいにフィッシング誌では扱われるようになって、バスの取材、記事は僕が担当していた。そしてその僕を吉本万里さんは釣り人の会合やルアー以外の釣り会の集まりに連れ歩いて釣りでは有名な先輩に自分を紹介してくれていた。そして少しずつ僕の名前も人に知られるようになった矢先のことで、その吉本万里さんから、有名人病にはなるな、と言われた。


これはガツンと効いた。
そのパンチはいまでも僕の体に残っていて、だから僕の釣りの基本はやっぱり、たかが釣り・・・・・されど、はなくてたかが釣り・・・・・だ。
そのせいかどうなのか、吉本万里さんという編集人は誌面で釣り方を、釣り師を褒めるということをしなかった。というよりほとんどしなかった。そのかわり、新しい釣り方や考え方は年齢や社会的地位など関係なく積極的に取り上げた。


「釣りにスターはいらない」「釣りの上手なひとは世の中いくらでもいる」「釣り人が馬だとすると自分は馬喰(ばくろう)だ」笑いながら良くそんな事を言った。そしてその事を証明するように釣り人に有名人病の兆候が出るとどんどん新人を起用した。
釣りが上手なだけではなく人格者であれ、彼はそう言いたかったのかも知れない

吉本さんが好きだったのはフツウの釣り人だった。
たとえばどんなに有名上手でも実生活では市井(しせい)の人。たとえば、クリーニング屋のオヤジだったり、町工場の職人や日曜しか休めないサラリーマン。あるいは三度のメシを二度に切り詰めて釣り費用にあてる若者。そんな全国の釣り人たちに彼はスポットを当てた。
こんな事を言ったこともある。


 「男と女がいて、その女に別のオトコが出来たとする」
 「ボクはそのフラれた男に興味がある。そっちの方が記者として面白い」


彼が大好きだったハードボイルド小説も「マフィアへの挑戦」のマック・ボランのように少しネジ曲がった生い立ちを持った主人公を支持した。


 「酒場は人生の道場だ」
そう言って彼は僕をいろいろな酒場へ連れて歩いた。

JR新大久保駅近くの“アルタン”もそうだった。刀鍛冶の末裔がマスターでギターで演歌を弾き歌うそんな店で、そういう店が結構、東京にはあった。もちろんカラオケなどない時代だ。
僕はその店で初めて吉本さんの歌を聴いた。彼の歌は延び延びとしたアルトで話には聞いていたけどプロはだしだった。
酔ったとは言え人前で歌を唄うなど・・・・・と思っていた僕にとってちょっとしたショックだった。
その酒場は写真家や出版関係の人が多く静かに酒を飲み興じれば歌を唄う。大人の酒場だった。人生の道場だった。
僕は恥ずかしいことにそんな酒場で、酒を飲んだことはなかった。
いつでも学生気分で安い酒場ばかりで飲んでは釣りの話でウダを上げていた。
このように酒の飲み方も吉本さんから習った。だから正直、酒を飲んで一度もケンカした覚えがない。


 「面白い渓流師(たにし)がいる店がある」


そう言われて連れていってくれたのも吉本さんだった。
その主人(マスター)は痩身で背が高く竹のようにしなやかな体つきをしていて、目つきの鋭い僕と同世代らしく見えた。
彼は渓流釣りもフライもルアーもやる男で、でも本業は渓流だった。そして彼の竿は和竿「竹堂」の二間半。ビクは「籠寅」。本格的な若手の渓流釣り師で店が終わると秋田まで日帰りでイワナ釣行をするラディカルな男だった。
そのイワナに因んでつけた店の名前は「チャー」。主人は北村秀行。チャーマスである。長年勤めた「どん底」をやめて独立した直後だった。


 「アイツはルアーやフライなんか止めさせて、渓流師として育てたい」

吉本さんは酔うといつも同じ話をした。
それには伏線があって、釣り雑誌の担当になった頃、彼はルアーやフライマンが嫌いだった。当時ルアーフライは始まったばかりで、彼の言う“オシャラク“(チャラチャラ気取った。彼の育った栃木弁)な釣りで、今は有名なフライマンでも当初はルアーマンだった人と取材に行った。渓流のエサ釣りが好きな吉本さんは、このフライマンの後からエサで釣り上った。その時のフライマンから、エサ釣りはフライより「格が下」みたいなことを言われたようで、そこで腹を立てた吉本さんはフライマンの見ている前でエサ釣りの竿を折ったらしい。
でもしかし、フィッシング誌の看板になったのは、渓流とイシダイと、皮肉にもルアー&フライだった。

その吉本さんが亡くなった。
吉本さんの雑誌“フィッシング”もなくなった。
そして僕たちは扇の要を失うことになる。


釣りは社会に貢献しない。と、吉本さんは言ったけど、釣りは少しは人を幸せにする、と僕は思う。
なぜ僕たちは釣りに夢中になるのだろうか?
自然は存在そのものが完璧で絶対だ。だから理屈を超えて信仰心の対象になったりする。人がたとえば富士山を見て感動するのは、そのせいだろう。
僕は無宗教だから、絶対的なもの、完全なもの、それは自然しかない。このことは前にも触れた。さらにそこに咲く花や植物、棲む鳥や獣や魚たち、すべてが完璧で美しい。




想像してほしい。


 50アップのバスが跳ぶ姿を・・・・・。
 横たわるビッグトラウトの神々しさを・・・・・。
 アドレナリンを逆流させたマーリンのブルーに走るストライプを・・・・・。
 圧倒的に美しいフィッシュイーターたちを釣る興奮、感激。



釣りとは、だから知的な大人の遊びであり、ネバーエンディングストーリーなのである。それをいちばん教えてくれたのが吉本万里さんだったように思う。


30年前のバス釣り少年たちに。
プラッガーたちに。
トップウォータードリーマーたちに。
パラノイアシンドロームたちに。
団塊たちに。
大人の少年たちに。


以下次号。


則 弘祐






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