そう。そのカタログは、その時の僕にとって、まさにアウトドアライフのワンダーランドだった。とくにぶ厚い「ハーター」は、キャンプ道具やテント、それもプロの罠師が使うキャンバスのヘビーなものまで、実に色々なものがあった。
オーダーシートに、迷わず「5000C」と仲間の分までプラグを注文した。なにしろ日本にはバスプラグなんて売ってもいない。銀行に行ってドルの小切手を作ってもらい送金した。これが結構面倒くさい作業だった。個人で外国から物を買う。それは日本人がドルを使うということだ。国の方針に反していた。
そんな苦労をしたのにもかからわらず、届いたのはなんと6000Cだった。注文書には必ず「セカンドチョイス」という欄があって、そこに6000Cと書いたからだった。
それでも僕はいいと思った。5000Cに劣らず6000Cはきれいだったからだ。僕は皮のケースから取り出しては眺め、そして小学校の子供のようにそれを寝るときは枕元において寝た。
それから猛特訓が始まった。
何といっても、誰も教えてくれる人はいない。もちろん本にだって書いていない。
リールに付いていたマニュアルに従って庭で投げた。でも思っていたよりベイトは簡単で、3日ほどして何とか投げられるようになった。
そして僕はそのリールを持って、当時出来たばかりの国際マス釣場へ武者修行にいくことになる。持ち帰り制限なし、そういうことで人気が一番あったのが早戸川であった。そこで僕は3gのスピナーを6000Cでガンガン投げた。ルアーを知らない鱒たちは入れ食いに釣れた。残りマスもほとんど全部釣りきった。「スレはだめだ」血相を変えて文句を言う管理人の前で、ちゃんと口に掛けてスピナーをマスが食うのを証明して見せた。
日光の中禅寺湖にもこのリールを持っていった。スレスレに底を舐めるようにスプーンをひくときに6000Cはベストだった。ダイレクトに当たりを取れる。前ブレが分かる。根がかりせずにデッドスローでリトリーブが出来る。アクションも手に取るように感じる……。
それはルブレックス社の名品、オークラを少し長く薄くした自作、自称「ノリクラ」にはベストマッチだった。何匹もの「茶マス」ブラウンをこのリールで釣った。『フィッシング』誌の古い読者なら覚えてくれていると思う。芦ノ湖にしかバスがいなかった当時、バスの替わりにライギョも釣った。「雄蛇が池」でのライギョ釣り。この記事も覚えていらっしゃる方もいらっしゃると思う。
ともかく、雄蛇が池でも主役はハリソンの「スーパーフロッグ」とこのアンバサダーだった。
バスのトップウォータープラッキング。
これはもう何と言ってもこのリールなしには語れない。このリールにはだから僕の釣りの思い出がすべてつまっている。
このリールを回すと少年の時に聞いた同じ音が返ってくる。回すたびにドキドキしたあの気持ちが返ってくる。
それから40年。
後で手に入れた5000C。両方とも今、僕の目の前にあって現役だ。特に6000Cはハイスピードギアに替えてあって僕のビックトラウトのマストリールである。
イメージしてみよう。
君は今、解禁直後の川にいる。
川には霧がかかっていて、隣の友人のキャストの音だけが聞こえている。
霧はだんだん晴れてきて、下流の橋がぼんやり見えてきた。
少し風が出てきたようだ。
流れはゆっくりと大石を巻き込んで白い芽をつけたヤナギの対岸に向かって開けていく。
やっと夜が明けてきて、その証拠に雲の輪郭がはっきりしてきた。
キミはゆっくりとリールのクラッチを切って斜め上流に向かってフルキャストした。
ラインは16ポンド。
さあいつでも来い!
釣りは釣り人を幸せにする。
そう確信します。
ビックトラウトドリーマーたちへ。
ベイトキャスター同志たちへ。
則 弘祐